学校指定学習者用端末の現在未来

 どっちに転んでも文句や懸念が山積みなのは分かり切っていたことでした。

 とはいえ、今回の結果に「あ〜あ」感が漂うのは、どうしてでしょうか。

 既存の考え方を切り捨てられなかった旧態依然の選択行動に対してでしょうか。不振品を一掃する姨捨山のごとき場として文教市場を見るまなざしに対してでしょうか。日も浅く実績の少ないものに付き合わされる高校生達の悲哀に対してでしょうか。

平成26年度に佐賀県立高校全校で導入する学習者用端末の機種をWindows8に決定しました」(佐賀県教育委員会)
佐賀県教委、全県立高校でWindows 8タブレット導入を決定 iPadと比較検討して選定、2014年度から約7000人の新入生が活用」(PC Online)

 ご覧のように、佐賀県の県立高校で2014年度入学者が購入することになる指定学習者用端末に「Windows 8」タブレットが選ばれました。

 制服ならぬ「制端末」といったところでしょうか。

 この件は、文教市場における日本マイクロソフト(陣営)とAppleの対決として、あちこちで話題にされていたものでした。そして、初戦の場ともいうべき佐賀県で、日本MSが先勝したことになります。

 特に驚きはありません。

 教育委員会という組織が持っている論理の特性を踏まえれば,自然と導き出される結果でしょう。むしろ、事前に比較検討する機会をつくったことを考えれば、佐賀県教育委員会は極力公平であろうと頑張った方だと思います。

 しかし、Windows8が一般市場で苦戦している日本MSは捨て身でしょうし、Appleに比べれば公官庁付き合いの経験も豊富でしょうから、自らのWindowsクラスルーム協議会メンバーと結託してかなり動いたのではないかと思います。

 一方のAppleは、きわめてフェアな戦い方を通したのだと思います。もともと、割り切りこそがAppleやiOS製品の特徴ですから、その特性を認めてもらえれば教育分野においても十分選択される余地があると信じているのです。

 この一勝が今後を左右することは両者とも十分承知していたこととは思いますが、そこで捨て身で一心不乱か、悠然と用行捨蔵かが、勝敗を分けたのかも知れません。

 むしろ、今回のニュースには、学習用端末をめぐる難しい状況が反映されている点が興味深いです。

・タブレット端末は成長段階の機器で選択が難しい
・Android端末は推してくれる守護者を持っていない 
・Apple端末は入札に不向き
・Windows8の選択の先には端末メーカーの選択が待っている 
・管理者目線の選択と使用者目線の選択は一致するとは限らない
・教職員向け校務用パソコンの選択によって囲い込まれる現実がある
・クラウドによる囲い込みについてはあまり意識が向いていない
・選定理由を説得的なものにすることは(どんな選択でも)難しい
・選定責任の所在に関して願わくは曖昧にしておきたい傾向がある etc..

 確かに学習者用端末に関する議論が、どの端末を選定するのかという議論にすり替わっている問題も由々しきことです。

 本来であれば,具体的な学習と活用内容が明確にされて,それに相応しいかどうかを議論するなり判定するなりすべきところです。しかし、そのような情報は残念ながら開示されていないため、一般の私たちは単なる機種選択の話で受け止めるしかないのです。

 また、クラウドや標準規格に基づくアプリ実行やコンテンツ・データ交換を条件として、その条件を満たすものを指定学習者用端末とすべきであるという指摘もあるでしょう。

 理想的にはそうであるべきで,韓国などはそのような議論へと進んでいることはよく知られていることです。しかし、これも現状では、標準規格ベースで実用できるアプリやコンテンツ・データを具体的に提示できておらず、そのようなものを満たすように端末が準備されていない問題もあり,実現に至っていません。

 いずれにしても学校へのタブレット端末導入については、まだまだタイミング的に難しい時期であり、取り組まれている関係者の皆さんは、ある意味で相当困難なチャレンジをしているといえます。

 導入後に取り組まなければならない運用保守の様々な事柄に対応することも含めて,応援していかなければならないと思います。そして、積極的にその知見を公開して欲しいと思います。

 もっとも、あと数年すれば、クラウドと標準規格ベースによる学習端末の具体的姿も見えてくることになるでしょう。

 そのときになれば、今回のニュースも「あの時代は、まだまだ黎明期で機種ベースで議論せざるを得なかったなぁ…ははは」みたいな思い出笑い話になります。

 つまり、こうしたニュースは「Windows8 vs iOS」という捉え方ではなく、「SkyDrive vs iCloud」の戦いであり,「Office vs iWork」の戦いといった視点で捉えるべきなのです。

 Apple側は、秋に「iWork for iCloud」という、Webベースのワープロ、表計算、プレゼンテーションのアプリをリリース予定です。これはAppleのiCloudと組み合わせてWebブラウザ上で実行されるのでWindowsでも動作します。

 Microsoft側は、すでに「Office 365 Education」というサービスを展開しており,「Office Web Apps」というWebベースのアプリでSkyDriveとOfficeソフトとの連携を仕込んでいます。

 このようにクラウドとWebベースのアプリケーションは、すでに様々用意されていますし,今後ますます増えていくことになります。日本勢がこの部分のサービスについて、まだほとんど表沙汰にできていないことが悩ましいかぎりです。

 公官庁がGoogleサービスを利用して情報非公開設定を忘れた事件などがニュースになりましたが、便利さにおいては圧倒的に海外勢が強い現実に対抗すべく,早く日本の企業から便利で安心なサービスが提供されることを望みます。

【注意】
 Windows8端末に関して、日本MSが出している「Surface」というマシンがあります。このマシンには「RT」と「Pro」の2種類があります。佐賀のニュースに関係するのは「Pro」の方です(もちろん佐賀がSurfaceを指定したというわけではありませんが)。

 これとは別の「RT」に関してネガティブなニュースが流れていますが,これは必ずしも「Pro」には当てはまらないので注意して読みましょう。

東京国際ブックフェア & 国際電子出版EXPO 2013

 先日、東京で行なわれた「東京国際ブックフェア」と「国際電子出版EXPO」が開催されたので、その他の用事と兼ねて視察しました。

 教育分野において書籍や電子出版の動向は無縁ではありませんし、私自身が図書館司書資格の科目も担当しているのでこの分野の動向を勉強する意味でも通うようにしています。

 ブックフェアは20回目を数える節目の回でしたが、残念ながら数年は年を追う毎に規模や勢いを減じており、今回は目新しい話題にさえ乏しかったというのが正直なところ。

 この分野に詳しい方のブログを拝見すると、同様な感想をすでに開催前の案内状から読取っているぐらいでした。

 それは電子出版EXPOの方も大差はなく、ePUBのに沸いていた昨年に対して、今年度は大きな変化もなく、各社がそれぞれのプラットフォームやサービスをブラッシュアップして売り込みをかけているといったところ。

 AppleのiBook Store日本参入という変化も、この会場においては特に目立った話題にはされておらず、淡々とした雰囲気でした。むしろ老舗のボイジャー社が、かつて技術的には未成熟だった試みを再度今日の技術でチャレンジしたりと元気でした。

 他に印象に残ったのはBPS社の日本語縦書きビューアエンジン「超縦書」がCSSプロパティを豊富にサポートしているという点を売りにして頑張っていたことくらいでしょうか。もっともiOS向けはまだ着手していないため、マルチプラットフォームまではもう少し時間がかかりそうです。

 東芝ではAndroidタブレットのハードウェアとソフトウェアを極力チューンナップした手書き入力「TruNote」を展示していましたが、Web上のレビュー記事の印象と違って、まだこなれていない感が強かったです。説明員の人が理解不足だったせいなのでしょうか。

 その他にも同時開催中の展示会がいくつかありましたが、コンテンツ配信関連では、新しいビデオ圧縮技術の再生デモなどしていて興味深かったです。

 それから、徳島県がサテライトオフィスなどでクリエイターや制作会社の誘致のために出展しているのにびっくり。しかも昨年、県の事業でご担当いただいた方が声をかけてきてくださって2度びっくり。いやはや東京で再会するとは。

 というわけで、展示会はもちろん、それ以外にも国立国会図書館や古巣に寄ったり、研究会を冷やかしにいったりして東京滞在が終わりました。

『足代小 フューチャースクールのキセキ』

 総務省「フューチャースクール推進事業」の実証校である徳島県東みよし町立足代小学校の取り組みが『足代小 フューチャースクールのキセキ』という書籍として教育同人社から発売されます。

 実証校からの報告が書籍になるのは初だというので、事業に関心のある皆様にはぜひ手にとっていただければと思います。

 ただ、少しお詫びを…。

 この書籍には担当研究者として関わった私の原稿も(たぶん)掲載されていると思うのですが、担当研究者として対外的に書くことを意図したものではありませんでしたので、普段から不明瞭な駄文を書いているのですが、一般読者の皆さんにはなおのこと意味不明な内容となってしまいましたことお詫びします。

 逃避行ばかりしている私が市販されることを聞き漏らしてしまったせいです。ごめんなさい。

 一応、こうした事業に関わる研究者や有識者には様々な人がいて、それぞれ異なるスタンスをとっていることは予防線的に書いたのですが、これだと有識者って名前だけの仕事なのねと一般化して勘違いされてしまいかねません。

 他の実証校を担当した有識者の方々は、私と違って勢力的に事業に関わり、親戚のおっちゃんおばちゃんといった感覚で取り組まれているわけではありませんので、誤解しませぬよう、どうぞよろしくお願いいたします。  この事業に関わられた関係者の皆様に改めてお詫びいたします。

 現行執筆時点では、この事業の関係者を中心とした内部の人々が読むことを主な想定読者としていました。

 そういう方々は「ああ、足代小を担当している、あの…りんさんね。」という風に、私が好き勝手に動き回り馬鹿をやっている関係者であることは知られているので、その言い訳を書いたのがあの原稿でした。

 というわけで、フューチャースクール推進事業に自分が関わることを知ったのは突然でしたが、報告書が市販されることを聞いたのも本日でしたので、びっくりびっくりで始まり終わった私のフューチャースクールのキセキでありました。

いつだって日本の教育問題は…

 学校には、学校種というものがあります。

 小学校、中学校、高等学校、中等教育学校、特別支援学校、大学、高等専門学校といった種類のことです。

 教育段階として、初等教育、中等教育、高等教育といった呼び方もあります。また、義務教育段階といった定義もあります。

 学校種によって、語られるべき内容は異なりますし、たとえば6年間を過ごす小学校であれば、子ども達の発達段階によって物事を考えなければなりません。少なくとも低学年、中学年、高学年といった区分があることを了解すべきです。

 けれども、日本の教育問題に関する議論は、そういう種類や段階の別を忘れてしまいがちです。

 ICTを学校に導入する話題でよく質問されることの一つに「子ども達の使う端末はキーボードがあるべきやいなや」というものがあります。

 まあ正直、質問が乱暴であるとツッコミたいところですが、それは素朴な疑問であるから仕方ないとして、答えは学習活動によって異なるとしか返しようがない。

 小学校の低学年や中学年までなら、タブレットにペン入力させたり、音声入力させたりする使い方でも十分な学習活動が多いのではないかと考えます。

 中学年から高学年になれば、そろそろキーボード入力そのものに焦点をあてて、中学校、高等学校におけるレポート課題などにも対処する術を身に付け始めることでしょう。そのときにキーボードが使えるオプションがあるとよいと思います。

 直にiPad用の有線キーボードも登場するようですから、こういうものを適宜使い分ければよいと思います。(LogitechMacally

 ただ、率直に言って、ソフトウェアキーボードを使って慣れてしまうと、それで長文入力も苦ではない場合も少なくありません。まして、子ども達が早くに使い慣れれてしまうとすれば、手書きがどうの、キーボードがどうの、ソフトウェアよりハードウェアだとかいう他人の議論に意味があるとも思えません。

 それは鉛筆とシャープペンシルの善し悪しを比べようとすることの滑稽さにも似ていますし、機能性ボールペンや特製万年筆などにこだわる人がいるといった筆記具における多様な嗜好の現実を考えれば、せいぜい文具雑談の域と変わらない話なのです。

 それでも手書きとキー入力はさすがに次元が違う話ですので、両方それぞれ、どのように使い分けながら身に付けていくのかは、学習カリキュラムとの組み合わせで考えていくことが必要になると思います。  結果的に、手書き派として生きていくのか、キーボード派として生きて行くのか(あるいは両刀遣いか)は、人生の選択として各人が選び取るだけの話です。デジタルの時代だからといって手書きのスピードや感覚を排してしまう理由は、どこにもないのです。

 話が逸れましたが、斯様に問題を議論する場合は、学校種や発達段階における現実を踏まえるなり慮りながら語られる方が自然なのですが、それを閑却して極端な断定をすることは、話は簡単になり分かりやすいですが、あまり役立つ議論とはいえません。

 それだけでなく、私たちは語る立場によって暗黙に前提している学校種や発達段階が異なっており、往々にして前提の食い違いが起こっていることにも気をつけなければなりません。

 「創造的な教育」を望むような意見は、一見するとすべての教育段階に共通したものに思えますが、現実的には各教育段階で偏重すべきものが異なりますから、総論賛成としても各論ではかなり異なる内容を積み上げなければならないことも珍しくありません。

 このことを分かっている人たちも多いはずなのですが、意外と議論の中ではすっ飛ばされてしまいがちです。

 さらに、教育段階を意識するという中でも、かなり手薄になっているのが中等教育段階の問題です。具体的には中学校と高等学校のことです。

 それでも中学校の方は義務教育に属するためか、わりとまだ意識的に丁寧に語られることも多いのですが、高等学校になると実態が多様であることや大学入試という出口目標が存在するため、現実的なサポートも十分ではありませんが、議論としてもどうしても踏み込めない部分が大きくなっています。

 さらに、先生達の存在の仕方も多種多様というか、最低限でも地域レベルで見つめないと、実相に届かないのではないかとさえ思えます。つまり、一緒くたに語るような議論が現実と乖離しているために、ますます問題把握を困難にしたり、あるいはまったく役に立たないままになっているのではないかと思われます。要するに、届いていない感覚です。

 本来であれば、地方の教育委員会や議会、市民の目こそが各地の中等学校の現実を捉えてた上で励ましたり改善に寄与するはずですが、そこが機能していないのが現実といったところでしょうか。

 議論ばかりしていても仕様がないという考え方もあり、それも確かにそうですが、一方で、議論を伴わない実行だけというのも困りものです。

 どんな場合にも、丁寧な目線で物事を見たいものですが、その際に、学校種や教育段階、発達や学習の実態についても忘れずにいたいなと思う次第です。

20130621 New Education Expo in 大阪

 教育関連の展示会として長く開催されているNew Education Expo(NEE)の大阪会場に登壇者の一人として参加してきました。

 NEEの企画の一つとして国際セッションが設けられており、各国の事情を紹介する機会が用意されています。韓国からゲストを招いてお話を聞いたり、海外視察した報告などがなされたわけです。

 私は5年くらい海外には出かけていないお留守番研究者なのですが、引きこもりのおかげで収集した海外情報や日本の事情をお伝えする役回りとして登壇させていただきました。

 

   最近、この手の登壇機会があると、山のような懸念材料を積み上げて発表している自分がいます。正直、自分でもなんてネガティブなのだろうとうんざりしています。

 でも、こういうことを真正面から指摘する人が少な過ぎるのですから、下手なりにやらなきゃならない立場に自分自身で追いやっているようなところがあります。

 あらためて、運命というのはなんて意地悪いのだろうと思います。

 皆さんはご存知なのかどうか分かりませんが、私はiPadが登場時に誰よりも能天気に「iPadを学校現場へ!」と舞い上がって動き出していた人間でした。

 とにかく少しでもそういう動きの火に油を注ごうと場を賑やかしていたわけです。アプリ開発や学会ワークショップまで企画するほどやる気満々でした。

 しかし、縁あって総務省フューチャースクール推進事業という国の仕事に関わり始めることになり、そういう能天気な活動はすっかり吹き飛んでしまったという次第です。

 それから3年間は、本当に勉強になりましたし、貴重な経験をたくさんさせていただいきました。  それだけに、立場的には慎重推進派となりました。安易な肯定も否定もしないけれど、物事を手堅く積み上げていくことは重要だ。そういうスタンスです。

 未来ばっかり見て、すっかり目がくらんでしまったので、過去を調べながらリハビリしているみたいな感じといえば分かっていただけるでしょうか。

 なんかもうちょっとぱぁ〜っとやる立場に居たかったんですけれど…本当に運命というのは意地悪なものです。

 お留守番もつまらなくなったので、そろそろ海外へと出かけたい気分ですが、さて、いつどこへ出かけることやら。

 その前に、いろいろ知り得た事柄をまとめなければなぁと思う今日この頃です。