プログラミング体験・学習について鳥瞰する

公立学校で「プログラミング教育」なるものが必須になると話題です。

平成29年3月告示の学習指導要領に至るまでの「プログラミング教育」にまつわる事象と、学習指導要領とその解説で示されたプログラミングに関わる記述について、本当に様々な事柄が語られる対象となり、いろんな解釈と見解を人々が発信しています。

議論することが必要で大事であると日頃から考えている手前、立場に応じて提示される事実認識や考え方、取り組みや主張について、初めから斬って捨てることはないと考えています。

私がこれから書くことさえ、私個人の一認識でしかないのですから、まずは論じてみて、どのくらい妥当かどうかを闘わせてみるしかないと思います。

そう前置きしつつ、この「プログラミング教育」にまつわる話題が混沌としているとしたら、その理由は何なのか書いてみたいと思います。

まず「プログラミング教育」という用語について、この文章ではこれ以降「プログラミング体験・学習」という表記を使おうと思います。

理由は簡単で、小学校がプログラミングの体験を重視し、中高ではプログラミングを通した学習が展開するという、新しい学習指導要領が示した初等中等教育におけるプログラミングの体系的な位置付けを、まずは明示的に共有したいからです。

【議論の混沌要因】の一つは、学校段階(小学校・中学校・高等学校)毎に分けて論じるべきプログラミングの扱いが、「プログラミング教育」という体系的な呼称で一括りに論じられてしまうことにあります。

乱暴かも知れませんが、プログラミング体験(小学校段階)とプログラミング学習(中学校・高等学校段階)として、分けて呼称できるように「プログラミング体験・学習」を使ってみようと思います。

【議論の混沌要因】の二つ目は、国の学習指導要領と学校の教育課程との関係について、その従属関係をどう捉えるかによって議論が難しくなることです。

すでに小学校段階におけるプログラミング体験に関して、「関係する有識者会議は何を言っているのか」、「中央教育審議会は審議をどうまとめたのか」、「学習指導要領と解説にはどんな文言が記されているのか」、それらが内に含んでいる意図に最も沿う考え方とは何か、といった引用・解釈合戦が賑やかです。

学習指導要領は(検定教科書という同伴とともに)、学校現場にとって絶対的な存在として君臨し続けてきた歴史があります。文言としては創造的な学校の教育課程を編成しなさいとは言い続けてきたものの、多くの教育委員会や学校にとってはそうでなかった過去が積み重なっています。

新しい学習指導要領(平成29年3月告示)は、とりわけ学校の教育課程に関して挑発的な言葉が並びます。「社会に開かれた教育課程」の実現を目指すよう促し、「カリキュラム・マネジメント」の実現も求めます。学習指導要領は「学びの地図」であると一歩引いては見せるものの、示された到達すべき地点は膨大です。

より増長したダブル・バインド状況に立ち向かうために与えられたリソースは少なく、当然のことながら、少しでも効率的で、省力的で、手離れがよいものに逃れたい衝動に駆られます。正解探しが終わらないという皮肉な再生産です。

【議論の混沌要因】の三つ目は、プログラミング体験・学習を学校教育に盛り込んだ側の人々が、その盛り込み方について分からないこと、思い通りにならなかったことがあり過ぎのまま、見切り発車的に決定を重ねた(重ねざるを得なかった)ことです。

小学校英語と比較すれば分かりやすいですが、その準備にかけた時間もステップも、すべてが少なく短過ぎました。たとえば、英語教育の必要不要を扱う書籍と小学校プログラミング教育の必要不要を扱う書籍の数の違いは(あくまで傍証でしかありませんが)議論の少なさ短さの証明です。

つまり、プログラミング体験・学習が学校教育に必要であることが直感的に分かっていたとしても、それを言葉として説得的に積み上げていく助走作業やそのための時間がなかったことを意味します。

その結果、新たな造語「プログラミング的思考」が、有識者会議という場で生み出され、学習指導要領の解説に示されたことが、議論をさらに複雑なものにしているのです。

「プログラミング的思考」について、[1]有識者会議の議論のまとめから[2]各所各者言及から[3]英訳検討から、議論の素材を集めていましたが、明確にしようとすればするほど言葉を重ねなければならない事態を招いていて、つまり用語としての明快さに疑念が生じています。

端的に、この語を生み出した人々自身が、中身を分かって用いたのではなく、生み出す必要性に駆られて用いたと理解した方が、むしろ話は分かりやすくなります。

プログラミング的に表現すれば、汎用型変数の宣言あるいはクラスを定義したに過ぎません。

「プログラミング的思考」に実体があるかのように論じても、それは各論者が好き好きに論じているにすぎず、有識者会議のまとめがこれを縛るための規約として、沿っているかどうかのチェックに利用される。そういう形だと理解すると現状をうまく捉えられるように思います。

すみません。何を書いているのか分からない方々もいらっしゃると思います。

「プログラミング的思考」という言葉は、生まれたときからバズワードであり、そうである以上、文脈に依存するため、議論する者同士がその文脈を共有しないと、この言葉を要にして議論することはできないのです。

【議論の混沌要因】の四つ目は、役者(アクター)の配置が複雑になっていることです。

ここでいう「役者(アクター)」というのは、省庁や関係団体(産官学)、政治家や事業家や研究者、教育者、保護者、子ども、関心を持つ一般人など関わっている人々をまとめて呼ぶための言葉です。ステークホルダーという言い方もあります。

アクターが多様で複雑なのは、どんな物事にでも当たり前にあることですが、プログラミングに関してはアクター毎の知識や認識・理解も様々で、それゆえプログラミング体験・学習に対するイメージについて共有していることはとても少ないことが特徴です。

そのうえ、プログラミング体験・学習に関わっていこう、提供していこうとする人々も一枚岩ではない以上、非常に多様なものが発信されているため、それらを整理することがなにより重要なことになっています。

対象読者を絞ったガイドブックが少しずつ出始めていますが、これも増え過ぎれば、あちらはああ言う、こちらはこう言う、どちらが私に合っているのかを判断するのが難しくなってくるかも知れません。

(ちなみに堅いことを言わなければ、保護者向けと思われる『図解・プログラミング教育がよくわかる本』は、時節を捉えた内容でイラストとレイアウトなども上手に編集された無難な一冊と思います。)

プログラミングということでいえば、学校教育を管轄する文部科学省だけでなく、情報通信政策を管轄する総務省、そして情報通信産業を管轄する経済産業省が関わってくるテーマだけに、業界団体も巻き込んで、それぞれの思惑が交差していることも複雑さの一因です。

知らないうちに私たちが、この三つの省の代理戦争をしている状況さえ起きています。

他にもたくさんのアクターがいるわけで、その分の文脈が増えれば、議論が混沌としないはずがありません。

【議論の混沌要因】の五つ目は、教育の情報化(学校教育のIT対応化)がネガティブなイメージを払拭できずに、長らく足踏みしていたことです。

ゆえに混沌要因の三つ目(議論の少なさ短さ)が引き起こされたともいえますが、日本では、教育の情報化の取り組みが仕組み的に難しくなっている現実があって、それを放置したまま今日に到っているのです。

平成元(1989)年の学習指導要領の改訂時、「情報基礎」という領域が中学校の技術・家庭科に新設され話題となりました。

公立学校に大量の教育用パソコンが必要になる!と業界が湧いたことをご記憶の方もいらっしゃるかも知れません。当時、主流であった「NEC PC-9801シリーズ」が採用されるのか、それとも海外から入ってきたIBM PCを日本向けに規格化した「AX規格パソコン」が採用されるのか、あるいは国産OSとして通産省も期待をした「トロン規格」が採用されるのか。

いまはJAPET(日本教育情報化振興会)へと合併しましたが、CEC(コンピュータ教育開発センター)という組織が学校の教育用パソコンの規格を策定して、それを導入機器のガイドラインにしてもらおうと動いていたことが知られています。1990年7月に「学校で利用されるコンピュータシステムの機能に関する調査報告書 CEC仕様’90」が出されました。

しかし、その裏側では、様々な思惑の衝突と、貿易問題としてのアメリカからの圧力などで業界の勢いは削がれ、CECを中心とした教育用パソコンの普及計画は事実上消えてしまいました。あとは、パソコン各社それぞれ入札案件を取りに行く形で導入が進められましたが、入札疑惑、入札談合、入札収賄と事件が続き、導入しても宝の持ち腐れ論もかまびすしく、パソコン導入に関する世間のイメージはすっかりダークに染まったのでした。

そこから四半世紀近く、日本の学校の情報化(IT対応化)は極めてネガティブな空気感を伴ってしか、展開されてこなかったのです。たとえば、情報モラル教育が危険性を強調することでしか存在をアピールしてこなかったことは象徴的です。ある種の情報が人を喜ばせ、生活を豊かにするといった明るい方向性のモラルはほとんど語られてこなかったのではないかと思います。聞こえがいいこと言うのは宣伝ばかりだったともいえます。

その反動か、平成29年3月改訂の新しい学習指導要領やその関連文書には、環境整備の必要性を読み取らせ整備を迫る文言があちこち巧妙(?)に編み込まれており、呪縛を解こうと案じた様子が見えてきます。

ツケが大きくなり過ぎたことのケリをどうつけるのか。

Raspberry PiやIchigoJam、micro:bitといった比較的安価な選択肢が目の前にあっても、これをすべての子どもに配布するといった大胆な選択をとれない日本の現実こそ、本当は何とかすべきですが、すでに話が大きくなり議論の混沌を引き起こしているのは、これでお分かりいただけると思います。

十分な検討を経ず、徒然に書いたプログラミング体験・学習の議論に関する5つの混沌要因。

5つはもっと整理できるかも知れないし、5つだけではない他の要因もあり得るし、そもそもこの要因がわかったところで本来の議論に貢献できるとはいえないかも知れず、そういう意味でこの主張も、異論反論を必要としているものだと思います。

もう少しいろいろ考えて書ければと思いますし、もっと具体的に特定の論考を相手に議論を闘わせることもしてみたいと思います。

FileMaker Cloudを導入

りん研究室は、教育と情報の歴史研究に取り組んでいます。正確には、取り組むための文献資料集めと整理をしている段階です。長い時間がかかっていますが。

歴史研究には年表づくりが必要で、初期にはExcelファイルやGoogleスプレッドシートで作成していました。シンプルな表形式は便利なのですが、記録したい詳細情報が大きくなると参照が難しくなる弱点もありました。

それで数年前からFileMakerを利用したデータベース管理に移行して、データベースファイルをDropBoxに保存しながら利用していたわけです。職場のiMacや持ち運びのMacBookでFileMaker Pro等を起動して更新作業するスタイルです。

データベースによる年表項目の管理自体は問題なく運用できて、とにかく情報収集とデータ更新が目下の課題です。

ただ、唯一問題が残っていて、それは私がiPad Proのヘビーユーザーなのに、iOS版のFileMaker GoアプリではDropBoxに置かれているデータベースファイルにアクセスできないということ。ファイルは読み込めますが、作業結果はiPadのみに保存されて、共有しているデータベースファイルとは別物になり反映されないのです。

情報収集に図書館等へ行く際、持ち込むのはiPad Proが多くなっているので、そこから作業できないのは辛い。

これを解決する方法は、FileMaker用サーバーを立てること。

しかし、これまでFileMaker用サーバーは自前で立てる必要があり、運用コストもかかる手間もかかる状態でした。

2016年9月、この問題を解決する「FileMaker Cloud」がファイルメーカー社から発表されました。Amazon Web Services(AWS)というクラウドプラットフォームに対応したLinux版FileMaker Serverの登場です。

日本でも2017年7月からサービスが利用できるようになったので、早速利用を試みました。

FileMaker Cloudは、「AWSという外部に立てるクラウドサーバー」と「FileMaker Serverというデータベースサーバーソフト」の2つのセット商品と考えると初心者には分かりがいいと思います。

というのも、料金はそれぞれ別立てになっているからです。サーバー利用料とソフト利用料の2つ。

料金徴収の方法には選択肢があり、AWS(つまりアマゾン社)とFileMaker(つまりファイルメーカー社)のそれぞれ2社が用意したルールでそれぞれに徴収する方法と、AWS(アマゾン社)が一括して徴収する方法があります。

アマゾン社は、サーバーを時間貸しする料金体系がメインなので、一括徴収を選ぶとサーバーもソフトも時間料金で支払える特徴があります。ビジネス用途にはそういう方が便利なことが多いようです。

私のように「いつでもどこでもFileMaker使いたいんだよね」みたいな場合は、2社が別々に用意している割引制度を最大限利用するのが良いです。

FileMaker Serverは複数ユーザー利用が前提のソフトですから、お値段はそれなりに。FileMaker Licensing for Teams (FLT)というモデルは、普通に買うと最低クラス(5ユーザー向け)で約10万円/年間くらいします。(2ユーザー向けとか作ってくれるとちょっと嬉しいんですけど)

私は教育機関に勤めているので、アカデミックライセンスという形を利用して、約6万円/年間という料金でライセンスを取得しました。研究費はこれで吹っ飛んじゃいます。

AWSサーバーは環境を借りる手続きをすることになります。すでにAWSのWebサイトにはFileMaker Server用の環境セットがライセンスのタイプごとに用意されているので、今回は別々に料金を支払う用の「BYOL」タイプを購入する手続きを進めます。

この辺は全部英語で進むので、事前に「FileMaker Cloud入門ガイド」を読み、再度読みながら手続きを進めた方がよいと思います。AWSの知識や利用した経験がないと道に迷いやすいかもしれませんが、説明通りの手順を踏めばセッティングは可能だと思います。(追記:「FileMaker Cloud スターティングガイド」はさらに丁寧に解説してありますね。)

AWSのセッティングが終わると、AWSセッティング過程に入力したメールアドレスに対して、ファイルメーカー社へのリンクを含んだメールが届きます。そこからファイルメーカー社のWebサイトを開き、すでに購入したFileMaker Serverライセンス番号を入力してFileMaker Cloud用に変換手続きすることで、AWS側とFileMaker側が繋がって、利用が承認されるという仕組みです。あとは立ち上がったFileMaker用サーバーに接続するだけ。

晴れて、iPadのFileMaker Goからも統一的にデータベース更新作業ができるようになりました。

しかし、このままだとAWSクラウドサーバーの時間貸し料金が膨れ上がって大変なことになります。

もともとAWSをセッティングする際に、サーバーを置く場所(リージョン)を選択したのですが、実はリージョンによって料金が違うので、こだわりがなければ安い米国のリージョンを選択しておくことになります。反応速度云々はあまり気にしなくてよいと思います。

それから、サーバーの性能が決まる「インスタンスタイプ」というものも、初期セッティング時には選択をしておかなくてはならなかったのですが、FileMaker Cloudの場合は「t2.small」タイプが最低条件です。そしてランクアップするごとに料金も高くなります。反応速度はインスタンスタイプで決まると言ってもよいと思います。

私はt2.smallを選択しました。動作はもっさりですが,WebDirect機能も使うことができます。複数接続だときつい感じかも知れません。残念ながらt2.smallではFileMakwerデータベースをWeb画面で操作するWebDirect機能を使うことができないようです。(当初できなかったのは、FileMakerデータベースファイルに対して「WebDirect構成」していなかっただけでした。)ファイルメーカー社の技術仕様ページにも「*メモ: FileMaker WebDirectでのt2.smallの使用はお勧めしていません。」と注意書きしています。

お一人利用で安さ優先ならt2.small。複数利用ならt2.medium以上といった感じです。料金も倍々に跳ね上がりますが…。

さて、その上で、通常の時間貸しタイプではなく、年単位契約による割引タイプ「リザーブドインスタンス」を購入するのが重要です。これはサーバーを年単位でリザーブしておく権利を買うものです。

すでにインスタンスを立ち上げてあるのに、またリザーブドインスタンスを買ったら二重買いになるのではないかと不安になるかも知れませんが、これはすでに立ち上げたインスタンスに対して、リザーブドインスタンスという権利を適用するという形をとるので、同じリージョン内に同じタイプのインスタンス(t2.smallとか)があれば自動的に適応されます。

リザーブドインスタンスの価格は、リザーブする期間と支払い方法(全前払い、一部前払い、前払い無し)によって変わります。私は米国リージョンのt2.smallを1年間リザーブしたので、137ドル(約1万5千円)を全前払いしました。

というわけで、FileMaker Cloudを使い始めるためには、少なくとも年間12万円程度(教育関係者は8万円)が必要という支出規模になります。(FLTに2ユーザー向けライセンス設定があって少しでも安価になれば助かるなぁと思います。)

以上が、自分でFileMaker Cloudを立ち上げる際の大まかな流れやポイントです。

これとは別にFileMaker ProやFileMaker Pro Advancedを利用してデータベースやカスタムAppの設計開発をすることが必要なのはいうまでもありません。ちなみにFileMaker Serverには、サーバー接続用のFileMaker Proが付いてます。

「未来の仕事の65%が今はまだない」のその後

 2011年〜2012年頃に次のような文言が話題にのぼりました。

「2011年にアメリカの小学校に入学した子供たちの65%は、大学卒業後、今は存在していない職業に就く」

キャシー・デビッドソン氏(ニューヨーク市立大学教授)の予測

この予測は,様々なニュースや記事で取り上げられて,国の審議会でも触れられるに至り,たとえば次のような文書にも注釈として引用されています。

20141222「新しい時代にふさわしい高大接続の実現に向けた高等学校教育、大学教育、大学入学者選抜の一体的改革について(答申)(中教審第177号)」
20150217「産業競争力会議 雇用・人材・教育WG 提出資料」
20150826「教育課程企画特別部会における論点整理について(報告)」
20150826「教職員等の指導体制の在り方に関する懇談会提言」
20160616「小学校段階におけるプログラミング教育の在り方について(議論の取りまとめ)」
20161221「幼稚園、小学校、中学校、高等学校及び特別支援学校の学習指導要領等の改善及び必要な方策等について(答申)(中教審第197号)」 

ちなみにこの元ネタはニューヨークタイムズ紙のインタビュー記事とされています。

20110807「Education Needs a Digital-Age Upgrade」(NYTimes)

しかし,当の予測者であるキャシー・デビッドソン氏は,2012年から「65%」という数値を使っていないと告白しています。

I’ve not used the figure since about 2012

20170531「65% of Future Jobs Haven’t Been Invented Yet? Cathy Davidson Responds to Cathy Davidson and the BBC」(hastac)by Cathy Davidson

ご本人は,開き直ってか,「すべての仕事が何かしらで変わってる」(100% of our jobs have changed in some way, if not in the actual methods we use, then in their economics, delivery systems, or their future)と持論展開されています。

これはBBCのインタビューに呼応して書かれたブログで,ご本人の生声による弁明はこちらで聞くことができます。

20170530「Have 65% of Future Jobs Not Yet Been Invented?」(BBC)

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いったい「65%」の数値はどこから来たのか?

キャシー・デビッドソン氏本人が書いているように,Jim Carroll著『Ready, Set, Done』 (2007)を読んで,その引用を辿って閲覧したオーストラリアのWebサイトから,「65%」を別の著書で引用し,それを新著で再利用したのだが,もとのオーストラリアWebサイトが新しい政権になって閉鎖されたため確かめようがなくなったのだといいます。

この件については,

20170711「65% of future jobs, which doesn’t exist, 70% of jobs automated, just not yet」(SPATIAL MACHINATIONS)
20170708「A Field Guide to ‘jobs that don’t exist yet’」(Long View on Education)
20170706「The Undead Factoid: Who Decided 65% of the Jobs of the Near Future Don't Exist Today?」(The Edtech Curmudgeon)
20161102「012 65%の都市伝説」(21世紀のヒューマン)
20150730「0085: 150730 「出典」は、果たしてどこに?(その2):"65%" の謎」(Here and Now 704 : いま、ここ、から。)
20150527「A Myth for Teachers: Jobs That Don’t Exist Yet」(Scenes From The Battleground)

といったWeb記事で話題にされていました。

10年ほど前に流行った「Did you know?」インフォグラフィックムービーでも同じようなモチーフのデータ提示がありました。こうした「未来への備えのために教育を変えなきゃ」言説は,関心を集めるのに便利であるため,私もやってしまっている側です。

それだけに,その根拠を確かめるところについても,気を配れたらと思います。

何を想い,諮問し答申するのか

学習指導要領改訂は,諮問と審議と答申の過程を経ることが定式化しています。

何かを問い何かを答えるにあたっては,どんな現状認識にあって,どんな未来を想定しているのかも重要になってきます。

そういえば,過去の諮問や答申は,何を想っていたのでしょう。少し巻き戻しを…。

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 【平成29(2017)年】

[平成29年改訂 諮問]20141120 初等中等教育における教育課程の基準等の在り方について(諮問)

「生産年齢人口の減少,グローバル化の進展や絶え間ない技術革新等により,社会構造や雇用環境は大きく変化し,子供たちが就くことになる職業の在り方についても,現在とは様変わりすることになるだろう」

「成熟社会を迎えた我が国が,個人と社会の豊かさを追求していくためには,一人一人の多様性を原動力とし,新たな価値を生み出していくことが必要」

[平成29年改訂 答申]20161221 幼稚園、小学校、中学校、高等学校及び特別支援学校の学習指導要領等の改善及び必要な方策等について(答申)(中教審第197号)

「近年顕著となってきているのは、知識・情報・技術をめぐる変化の早さが加速度的となり、情報化やグローバル化といった社会的変化が、人間の予測を超えて進展するようになってきていること」

「第4次産業革命ともいわれる、進化した人工知能が様々な判断を行ったり、身近な物の働きがインターネット経由で最適化されたりする時代の到来が、社会や生活を大きく変えていくとの予測がなされている」 

 【平成20(2008)年】

[平成20年改訂 諮問]20050215 中央教育審議会(第47回)議事録

「主要先進国では、各国とも国の命運をかけて教育改革に取り組んでおります。時代や社会の変化の中で、我が国が様々な課題を乗り越えて真に豊かで教養のある国家として更に発展していくためには、切磋琢磨しながら新しい時代を切り拓く、心豊かでたくましい日本人の育成を目指し、国家戦略として、教育のあらゆる分野において人間力向上のための教育改革を一層推進していかなければなりません」

[平成20年改訂 答申]20080117 幼稚園、小学校、中学校、高等学校及び特別支援学校の学習指導要領等の改善について(答申)

「21世紀は、新しい知識・情報・技術が政治・経済・文化をはじめ社会のあらゆる領域での活動の基盤として飛躍的に重要性を増す、いわゆる「知識基盤社会」(knowledge-basedsociety)の時代であると言われている。
 「知識基盤社会」の特質としては、例えば、①知識には国境がなく、グローバル化が一層進む、②知識は日進月歩であり、競争と技術革新が絶え間なく生まれる、③知識の進展は旧来のパラダイムの転換を伴うことが多く、幅広い知識と柔軟な思考力に基づく判断が一層重要になる、④性別や年齢を問わず参画することが促進される、などを挙げることができる。」 

「このような知識基盤社会化やグローバル化は、アイディアなどの知識そのものや人材をめぐる国際競争を加速させるとともに、異なる文化・文明との共存や国際協力の必要性を増大させている。
 「競争」の観点からは、事前規制社会から事後チェック社会への転換が行われており、金融の自由化、労働法制の弾力化など社会経済の各分野での規制緩和や司法制度改革などの制度改革が進んでいる。このような社会において、自己責任を果たし、他者と切磋琢磨しつつ一定の役割を果たすためには、基礎的・基本的な知識・技能の習得やそれらを活用して課題を見いだし、解決するための思考力・判断力・表現力等が必要である。しかも、知識・技能は、陳腐化しないよう常に更新する必要がある。生涯にわたって学ぶことが求められており、学校教育はそのための重要な基盤である。」

【平成15(2003)年】

[平成15年改訂 諮問]20030515 今後の初等中等教育改革の推進方策について

「我が国の社会が現在直面している様々な課題を乗り越え、今後さらなる発展を遂げ、国際的にも貢献していくためには、教育の普遍的な使命と新しい時代の大きな変化を踏まえ、21世紀を切り拓(ひら)く心豊かでたくましい日本人の育成が重要であります。」

「新しい時代の学校にあっては、より一層、子どもたちに豊かな心をはぐくむとともに確かな学力を身に付けさせ、保護者や国民の信頼に十分こたえることができるよう、一人一人の個性に応じ、その能力を最大限に伸ばす創意工夫に富んだ教育活動が行われることが重要であります。」

[平成15年改訂 答申]20031007 初等中等教育における当面の教育課程及び指導の充実・改善方策について(答申)

「いまだかつてなかったような急速かつ激しい変化が進行する社会を一人一人の人間が主体的・創造的に生き抜いていくために,教育に求められているのは,子どもたちに,基礎的・基本的な内容を確実に身に付けさせ,自ら学び,自ら考え,主体的に判断し,行動し,よりよく問題を解決する資質や能力,自らを律しつつ,他人とともに協調し,他人を思いやる心や感動する心などの豊かな人間性,たくましく生きるための健康や体力などの[生きる力]をはぐくむことである。」

「今後の社会においては,少子高齢化社会の進行と家族・地域の変容,高度情報化・グローバル化の進展,科学技術の進歩と地球環境問題の深刻化,国民意識の変容といった歴史的変動の潮流の中で既存の枠組みの再構築が急速に進むものと考えられる。こうした状況にあって学校教育の果たすべき役割を考えたとき,学校・家庭・地域社会の連携の下,新学習指導要領の基本的なねらいである,基礎・基本を徹底し,自ら学び自ら考える力などを育成することにより,[確かな学力]をはぐくみ,豊かな人間性やたくましく生きるための健康や体力なども含め,どのように社会が変化しても必要なものとなる[生きる力]の育成を進めることがますます重要となってきている。」 

【平成10(1998)年】

[平成10年改訂 諮問]19960827 諮問文「幼稚園、小学校、中学校、高等学校、盲学校、聾学校及び養護学校の教育課程の基準の改善について」 (教育課程審議会)

「幼児児童生徒の人間として調和のとれた成長を目指し、国家及び社会の形成者として心身ともに健全で、21世紀を主体的に生きることができる国民を育成するため、社会の変化や幼児児童生徒の実態、教育課程実施の経験などを考慮するとともに、中央教育審議会の答申を踏まえ、幼稚園、小学校、中学校、高等学校、盲学校、聾学校及び養護学校を通じて教育上の諸課題を検討し、教育課程の基準の改善を図る必要がある。」 

[平成10年改訂 答申]19980729 幼稚園、小学校、中学校、高等学校、盲学校、聾学校及び養護学校の教育課程の基準の改善について(答申) (平成10年7月29日 教育課程審議会)

「今日、我が国は、国際化、情報化、科学技術の進展、環境問題への関心の高まり、高齢化・少子化など社会の様々な面での変化が急速に進んでおり、今後一層の激しい変化が予想されている。これらの社会の変化は、子どもたちの教育環境や意識に大きな影響をもたらし、教育上の様々な課題を生じさせるものと思われる。
 このような激しい変化が予想される社会において、主体的、創造的に生きていくためには、中央教育審議会第一次答申においても指摘されているとおり、自ら考え、判断し行動できる資質や能力の育成を重視していくことが特に重要なこととなってくる。」 

【平成元(1989)年】

[平成元年改訂 諮問]

[平成元年改訂 答申]19871229 教育課程の基準の改善について(教育課程審議会 最終答申)