いま「デジタル教科書」を議論すること

今年初の東京出張です。

がけいただいたこともあって、出かけました。参加したのは日本教育メディア学会が主催するワークショップデジタル教科書のメリット・デメリットを考える」でした。

率直に書けば、残念な気分になったというのが感想。

議論された内容に関しては、目新しいものはありませんでした。そうであれば、テーマ設定や議論の切り口を工夫することになりますが、そうした面も面白味があったとはいえませんでした。

つまり、素材は悪くなかったけれど、美味しい料理にはなってなかったわけです。あとは、なぜそうなってしまったかというメタ的な分析の対象として楽しむほかになかったということになります。

このタイミングに「デジタル教科書」を議論する意義は何なのか。日本教育メディア学会という学会が企画することの目的は何なのか。議論展開の目標は何なのか。

本来は議論を掛け合わせていく中で、こうした諸々を再発見して再定義できれば議論自体は面白くなっていくのですが、それぞれのご意見を拝聴してキレイに並べただけだと、モヤッとしたままになって「で、今日は何がしたかったの?」ということになりがちです。それなら、それぞれの登壇者の著作やインタビュー記事を読んだ方がまとまっていますから。

もちろん、キレイに整理するのが大事な場合もテーマ設定によってはあり得ます。つまりイントロダクションが必要なテーマの場合で、ディスカッションの目的もそうした入門的位置づけの場合です。しかし、そうであれば、そういう人選をすることや、議論展開もそういう風にアレンジしていくべきです。

しかし、残念ながら今回の企画はテーマと人選とファシリテートがちぐはぐで、正直なところフラストレーションの溜まるものでした。その証拠は、たびたび議論がデジタル教科書ではないところで展開したまま、それをデジタル教科書の議論として接合していく動きが乏しかったことからも伺えます。

もっとはっきり申し上げれば、今回のテーマに関して、このテーマ設定内容と人選であれば、本来は東京まで来て参加しなかっただろうと思います。

そもそも「デジタル教科書」自体がアウトデーテッド(今さら)なこと。乱暴にいえば、文科省の検討会議や各種審議会で面白くもない方向で決着がついた話です。扱うならそれなりに面白い論点に味付けする必要がありますが「デジタル教科書のメリット・デメリットを考える」では弱すぎます。

人選も不思議なものです。

新井紀子先生は確かにデジタル教科書懐疑派としてメディアに顔を出されていた方ですが、新井先生自身の関心はすでに東ロボくんやその次に移っていて、新井先生をデジタル教科書議論に呼び寄せること自体はかなり注意して戦略的に対応しないと、新井先生自身の関心にすぐ持って行かれてしまいます。そのことを分かっていたのかどうか、分かっていたとしても、今回は新井先生を上手に活かせませんでした。

石戸奈々子先生はデジタル教科書教材協議会(DiTT)の関係者であり、メディアにもデジタル教科書推進派として登場したことがある人ですが、やはりそれだけの人ではなくて、今回も「慶應義塾大学」と「NPO法人CANVAS」の関係者として登壇していることから分かるように、それほどデジタル教科書一辺倒な人ではありません。ご自身も「私、ここでは推進派にされちゃってますけど」と自分の立場の設定に不満を漏らすくだりが持ちネタになっていて、今回もその言葉が出てきました。だから、石戸先生を呼びたいときはそのネタを封じ込めるところから議論を始めないとご本人の本当によいところを引き出せないで呼んだだけになりがちです。

学会会員である小笠原善康先生や山本朋弘先生は、それぞれの専門的知見からデジタル教科書を論じることができる方々ですが、逆に言うと新井先生、石戸先生というゲストとどう絡ませるか次第ということになります。小笠原先生は長いご経験から蓄積された歴史的な観点でデジタル教科書を論じられますし、山本先生は現場での取り組みについての知見とデータ分析経験からデジタル教科書の学校でのあり方を論じられる人のはずです。今回もそれぞれのプレゼンではそうした内容を話されていました。

中橋雄先生はメディアリテラシー研究界のエースの1人でNHKなどでも仕事をされ活躍しています。研究における冷静沈着な姿勢は大変高い評価を受けていて、人柄も優しくチャーミングというか紳士的な方です。今回も個性豊かな登壇者やフロアの意見を忍耐強く傾聴して、上手にまとめられていました。もしもこれがイントロダクションを目的にしたディスカッションやイベントであれば、理想的な司会進行だったと思います。ただ、私は、今回のディスカッションはそうであるべきではなかったと考える派です。もっと中橋先生は登壇者とフロアに対して打って出ていくべきでした。

総じて、今回はテーマ設定と人選と議論のファシリテートがちぐはぐであったという結論に達することになります。

他にもこの手の催事はあるでしょうし、今回だけを取り立てて言及するのはフェアじゃないのだと思います。それに、この企画に関して、私自身も無関係ではなく、たぶんこの文章はやっかみで書いていると思われても仕方ない部分もあります。えぇ、そうですとも、私を登壇者か司会者に呼ばなかったことを少し恨んでもいます(半分は本音ですが、半分は冗談です。念のため)。

ただ、それにしても、素材はよかったというのに上手く料理できなかったことはもったいなかったなと素直に思います。私が関わったら、料理にもならなかったでしょうけど。

いずれにしても、関係者の皆さんと参加者の皆様お疲れ様でした。次回はもっと面白い議論が聞けることを祈って。