タブレット端末の学校への入り方

 学校にタブレット端末を導入するといったニュースがあちこちで聞こえてきます。総務省のフューチャースクール推進事業は国レベルの実証事業でしたが、都道府県・市町村レベルで試験的あるいは実用投入する方向が示されたところもあります。

 そもそもタブレット端末といった学校備品(と一応しておきます)は必要なのでしょうか。必要だとして,その入り方は1人1台なのでしょうか。

 もともと日本の学校は、学校設備や教材整備を重要視してきた伝統があるため、今日でも表面的には設備や教材について深刻な問題には直面していないとみなされています。

 たとえば、児童生徒は教室に机と椅子が用意され,部屋の前に教卓と黒板が存在する風景をほぼすべての学校で想定することが出来ます。教科書は義務教育において無償給付制度がありますし、高校段階でも何らかの形で教科書は確保されるはずです。

 しかし、その陰に隠れて、実は様々な備品や道具の整備や更新が不足していることは、世間で大々的に話題されることがありません。昨今では家庭の経済状況によって、自己負担する学習道具や教材を満足に購入できない事例も伝え聞きます。問題は給食費未払いだけではないのです。

 学校図書室の蔵書の具合も,市町村ごとに力の入れ方が異なっているため,新しい図書が定期的に揃えられるところもあれば,なかなか入らないところもあります。更新の問題は特に深刻で,ぼろぼろの図書がばりばりの現役であることは珍しくありません。

  
 机や椅子のように児童生徒1人1台が用意されているもの。黒板や学校図書などのように集団で共有する分を用意するもの。ドリルや絵の具といった個人負担するもの。

 学校で利用するもの(教育アセット/教育リソース)は様々な形態をとっているわけで、これらの更新維持コストが高いことも容易に察することが出来ます。厳しい財政状況の中では,学校の資産を守りきれず,最低限の条件をかろうじて維持することで済ませているのが実状でしょう。

 たとえるなら、サポート期限が切れると言われているものの、目的を達成するためならWindows XPは問題なく動いてくれるので,高いコスト支払って新しいWindowsマシンに更新する行動には移れないといった感じです。

 あえて乱暴に言えば,いま教育の問題につきまとう最大の頭痛のタネは「銭勘定」なのです。限りある予算を何にどう振り向けるのかという「決断」の問題でもあり,さらにそれに伴う「説明責任」の問題が議論の多くを消費しています。

 タブレット端末を入れる必要性があるかどうかは、正直なところ理屈をこねることは出来ても、そう納得するかしないかは立場によって異なります。費用対効果の面で納得させることが出来るかと問われれば,それは他の学校備品と同様に難しいのが実情です。

 それでも、なにゆえ教育に必要だと考えるのかを責任を持って説明し,費用的な負担を決断することが出来るかどうか。そこがタブレット導入の鍵でしょう。

 さて、学校へのタブレット端末…これはいったいどこからやって来たなのか。

 2006年頃から千葉や和歌山の学校でタブレット端末を導入した教育の実験事業が民間主導でスタートしたのを皮切りに,いくつかの先進的な自治体でモデル校導入がなされてきました。

 もっともこの時期の「タブレット端末」は「変形するペン入力型ノートパソコン」で、コンシューマ市場では主流でなく傍流。特別なもの感が強かったことは否めませんでした。

 しかし、2010年のiPadの登場によって、「タブレット端末」は「板形状のタッチ入力デバイス」であるとの認識が広まり始め、コンシューマ市場もノートパソコン一辺倒状態が崩れ始めていきました。この3年間におけるタブレット端末とタブレットPCという棲み分けの目まぐるしさにはため息が出そうです。

 佐賀県は、2011年より3カ年計画で県独自のICT利活用教育推進の計画を立て、これを後押しするために総務省のフューチャースクール推進事業や絆プロジェクトなどの予算を積極的に利用しました。さらに県と市町村との密接な連携を組んで、ペースの異なる市町村の足並みを緩やかに揃える仕組みによってタブレット端末などの導入が行なわれています。

 2013年5月に、佐賀県内で一番目立つ武雄市が2014年度以降に全小中学校へのタブレット端末導入方針を表明しましたが、この決断の波はじわじわと他市にも波及していくことになります。ちなみに5億円の予算計上を見込んでいるとの報道もありました。

 前後しますが,2012年6月には、大阪市教委が全小中学校にタブレット端末導入の方向性を表明。2013、2014年のモデル校導入を経て、2015年以降に全小中学校導入を目指すとされ、システム開発費も含めた予算は8億円を計上する方針と報道されました。

 2012年9月には、千葉県袖ケ浦市が全小中学校に数台ずつのタブレット端末を導入することがニュースになりました。同市は、iPadを生徒が自己購入して学校で活用していることで有名な袖ケ浦高校があり、そうした実績が影響しているとも言われています。

 2013年2月には、東京都荒川区がタブレット端末を2013年度にモデル校導入し、2014年度以降に1人1台の導入を準備し,ゆくゆくは1万台規模の整備を目指すといいます。2013年度は小学校3校で5000万円規模の予算。小学校24校と中学校10校に揃えるとなれば、単純計算で7〜8億円ということになります。

 お分かり通り,タブレット端末云々の話は、特定の都道府県・市町村の取組みとして動いています。教育行政の取組みはすべからく、学校の設置に責任を持つ地方自治体単位で進められていきます。

 小泉政権時代から現在に至るまで「地方で出来ることは地方に…」というスローガンのもと地域主権(分権)への行政改革が進められました。負担を地域に押し付けたのではないかという問題はありますが、国がコントロールすることから地域のことは地域でコントロールするようになってきています。

 文部科学省は、国レベルの将来を見据えなければならない立場上,ある程度は前のめり的な方針を立てる必要があります。一昔前なら、ひも付き補助金でも確保して、全国の教育委員会に対して号令をかけることも出来たかも知れませんが,いまはそういう時代ではなくなりました。

 国が示した行き先は方向性として把握し,乗れるバスに乗れる自治体から乗り込むというというのが日本の教育行政の実情です。そして資金不足や行き先を決められずにバスを見送っている自治体が多いというのが現実です。

 タブレット端末を学校に入れるやり方は、現実としていろいろあり得ます。

 バラバラにバスに乗れば,遠距離直通バスに乗った自治体と短距離バスを乗り継ぐ自治体とで「差」が付くことは当然ですし,バスを見送っている自治体と「格差」がつくことも本来は避けなければなりません。

 その方法は、必ずしも似たようなバスに乗ることだけではなく,いま学校教育自体が見直されなければならない時代における様々な道のりを様々示して、自転車でも歩きでも歩ませることだと思います。

 タブレット端末を1人1台入れるか、パソコン教室を置換える形で入れるか,学級に数台単位で入れるのか。どれが正解ということでもなく,必要に応じて選択できることが望ましいし,それがコスト的にできないすれば,他の手段も考える。ただそれだけのことなのだと思います。

 できることから考えたいですね。