iBooks テキストブックの登場

 Apple社が教育関係のプレゼンをするというので話題が盛り上がってました。発表されたのは、電子教科書の使用を想定した新しいバージョンの電子ブックリーダーアプリのiBooks 2と、電子ブック製作アプリのiBooks Author。iBooksとも連携するiTunes U アプリでした。

 もちろん、こうした発表内容はサプライズ慣れした噂好きの私たちにとって予想範囲内。けれども、それをAppleがどれだけエレガントに実現したかを楽しむというのが、毎度のパターンです。

 果たして、今回もAppleは彼ららしいやり方でソフトウェアを披露しました。ステージにはこれまでの基調講演でお馴染みのフィル・シェラー氏が登壇。動画をまだ見てないのですが、きっといつもの調子でプレゼンを進行したのだと思います。

 今回の発表は三つのソフトウェア以外にも、アメリカの主要教科書出版社による高校教科書のiBooksテキストブック版リリースというニュースもありましたから、確かに教育関係の発表だったと言えます。

 しかし、すでにお分かりの様にiBook Authorというソフトは電子教科書を作るためだけに使えるのではなく、ごくごく普通に電子書籍製作ソフトとして使えることは明白です。

 これまでもePUBファイルの書き出し機能を持ったワープロソフトやレイアウト編集ソフトはあったわけですし、パブーのようなWebサービスもあったわけですから、それらで電子書籍を作成することはできたはずです。

 けれども、現実的にはそう盛り上がっていたわけではありませんでした。出来上がるものがPDFの劣化した程度のものでは、電子書籍である必要性、あるいは魅力に欠けるのですから当然のことでした。

 今回発表されたiBooks 2とiBooks Authorがこの問題を解決しようとしたことは、発表されたものをご覧になればわかるでしょう。これは昨年リリースされていたOur Choiceという電子ブックアプリをベースに構築された電子書籍デザインの様です。

 決して派手ではないけれども、マルチタッチの電子ブックの操作感として快適さを感じさせる動きは、一つの到達点なのだと思いますし(もちろん、プロの中には満足してない人も居るでしょうが)、だからこそ今回の発表が成立するのだなと想像されます。

 このような電子ブック製作ソフトが無料で個人に配布される様になることは、衝撃的といって良いのではないかと思います。

 もしこれが有料だったり、学校関係者のみ配布といった形であったなら、たぶんこの様に話題にはならないでしょう。教育とそれほど縁のないと考えている人にも開放されているというところがAppleらしいやり方です。

 ツールの魅力もさることながら、今回のiBooksテキストブックがどの様なデータ形式を採用したのかが重要です。

 この点でもAppleは上手に攻めてきました。

 しばらくデータ形式が標準規格のデータ形式なのか、既存の電子書籍データ形式か、新たな独自データ形式か、不明でした。ようやく判明したのはiBooks形式と呼ばれるもので、ePUB3形式に独自タグの拡張を施したものであるという事でした。

 つまり、ePUB3だと考えればいいのです。

 基本はePUB3形式で電子ブックを製作し、iBooksで体験できるリッチな機能を利用したければ独自タグをサポートすれば良いということです。逆にいえば、独自タグを無視できるePUB3リーダーならばiBooks Authorで作ったiBooks形式の電子ブックを他機種でも読むことができる可能性があります。

 さらに言えば、iBooks Authorでは作成編集できない縦書きや細かな組版制御も、ePUB3なのですから、別のツールを組み合わせて使用すれば実現可能でしょう。別にiBooks Authorの進化を待つ必要はありません。先へ進みたい、もっと高度なことがしたいのであれば、高性能なePUB3編集ソフトを導入すればよいのです。

 その上に独自タグをサポートすれば、iBooks2でリッチな操作感を楽しむことができるというのだから、あなただったらどちらを選びますか?と問いかけているのです。なんともうまいやり方です。

 これも皆さんは察しがつくと思いますが、iBooks独自タグの詳細が今後明らかになった時、それを他社のリーダーがサポートしてはいけないとまだ決まっていません。むしろApple的にはデファクトの拡張タグになればと考えているに違いありません。(訴えてくる可能性はあるかも知れませんけど)

 要するにAndroid上にiBooks互換リーダーが登場してきて、無料のiBooksテキストブックを再生することができるようになるでしょう。となれば、MacだけとかiPadだけということも直に意味のない議論になります。製作環境も独自タグさえ分かればMacでなくてもいいのです(iBooks Authorが使いたい場合は別ですが)。

 WebブラウザのWebKitで行なった覇権への道のりを、電子書籍リーダーにおけるePUB3を味方につけることで再現しようとしていると考えられます。

 iBooksに追加されたノート機能やiTunes Uの新たな展開も非常に興味深いのですが、それについてはまた改めて。

 とにかく、今回の発表はAppleなりのePUB3本格始動の号砲であり、それを聞き逃した者は脱落していくのだということを理解しなければなりません。

〈追記〉上記の記事は、出張中にネットで集めた情報をもとに書いてます。残念ながらMacでiBooks Authorを実際に操作できていないので、事実認識が異なることもあります。たとえば、その後調べつづけているとiBooks形式はePUB3をベースにはしているが厳密にはePUB3ではない!と分析する専門家のブログも見つかります。iBooks形式ではePUB3が実現することができなくなっているという指摘です。ただ、iBooks AuthorにはePUB3書き出し機能があるからいいじゃないかとか、いろんな捉え方もあるようで、求めるものによって異なる意見が飛び交っています。

 iBooks形式が厳密にePUB3かどうかの問題は、他機種の電子ブックリーダーでiBooks形式が読めるかも知れないとの予測を遠ざけてしまう点で残念な話ですが、互換リーダーを作ることを妨げることにはならないので、誰かが作ってくれることを期待しましょう。

 むしろ、Appleの独自拡張が醜いとすれば、Googleがよりよい拡張規格を立ち上げて普及させる隙を与えることになりますから、この分野でも覇権争いが起こる可能性があるという予測を連れてきます。

 いずれにしても、舞台はePUB3周辺で展開することは確かですから、今回のAppleの発表がePUB3の号砲であるという本記事の結論は変わりません。

 もちろん私たちが魅せられているのはiBooks Authorというツールであり、

新しいICTカリキュラムは…

 英国でBETTという教育とテクノロジーに関する展示会が行なわれている。毎年大規模に行なわれるので,世界中のICT活用教育関係者が注目したり参加したりしている。

 さまざまなブースが構えられた展示会も賑やかだが,同時に開催されているセミナーや講演会なども盛りだくさんで,英国の教育大臣がスピーチする機会もある。

 今年の教育大臣(Michael Gove)のスピーチがニュースになっている。

 今年9月をめどに現在のICTカリキュラムを抜本的に再設計するための作業に着手するのだという。もっと時代に合ったものにするのだとか。

 これだけならば,毎年行なわれるリップサービスみたいなものだが,どうもスピーチの内容が現在のカリキュラムについて過激に表現し,新しいカリキュラムの考え方が大胆でニュースらしい…。

 曰く,「現在のカリキュラムはとても取っつきにくく,意欲をかなり喪失させ,全然活気がない(the current curriculum is too off-putting, too demotivating, too dull.)」とか「現在のカリキュラムは英国の学生たちを技術変革の最前線で働けるようにはしない(the current curriculum cannot prepare British students to work at the very forefront of technological change)」など…。

 一部のWeb記事では,WordやExcel,PowePointの代わりにプログラミング教育に力を入れるのだという解釈をしている。

 大学におけるコンピュータ・サイエンスを盛り上げようという文脈が語られたり,今どきの子どもたちはスマートフォン・アプリのプログラミングもしているといったエピソードも交えて話題になっているようなので,確かにプログラミングも新しいICTカリキュラムの射程に含まれるのだろう。

 ただ,それは単に最前線に関する分かりやすいトピックスがそれらであるというだけで,ことの本質は,変革する世界に学校教育とカリキュラムを合わせようとする,その動きそのものである。

 そういう意味では「学びのイノベーション」なんて名前を付けて何かをしようとしていた某国の取り組みは,発想としてはいい線をいっているし,それを主導できる世界的な人材も国内にあるのだから,やっと英国詣主義から抜け出すチャンスであった。けれども,政治の不安定さと経済不況がそれを不意にした…とでも書いておこうか。

 英国も同じ条件ではあるし,教師教育の問題,実際に組み立てられるカリキュラムに対する批判など課題も山積していて,今回のスピーチ内容が実現するのかどうかはいつもながら怪しいが,それでも,今回のスピーチに目新しい点があるとすれば「Disapplying the Programme of Study」という考え方である。

 Gove教育大臣は「Disapplying the Programme of Study」として,新しいカリキュラムを、従来のように教育プログラムを開発して、教師研修をし、すぐ廃れてしまうGCSESテストを課すという手法では「やらない」と宣言した。

 「学校におけるテクノロジーは,もはや政府によって細かにマネジメントされません。教育課程を引っ込めることで,学校と教師が何をどのように教えるのかに関して自由にし,私たちが知るICTに大変革させます。(Technology in schools will no longer be micromanaged by Whitehall. By withdrawing the Programme of Study, we’re giving schools and teachers freedom over what and how to teach; revolutionising ICT as we know it.)」

 そこに大学や企業がいろんな教育プログラムやリソースを提供する余地が生まれる…なんてことなども述べている。

 その他にも「An open-source curriculum」なんて言葉など,いやはやカリキュラムをいくらか生業としている人間にとっては垂涎ものの単語がオンパレードなスピーチであるが,こんなことを一国の教育大臣がスピーチするのだから,リップサービスで済まされるものではない。

 英国における教育の情報化は,学校と教師レベルに裁量を与える本格的な段階へと突入しそうな勢いである。それがどの程度のものになるかは,今後の行方を注視したいところだ。ってまた英国詣が賑やかになるのかな。

 日本の場合,学校教育に関する学校や教師の裁量が限定的なものになっていることや,それを引き起こしている複雑奇怪な権限分散制度の問題など,改善したら良いと思われる事柄はとっくの昔から判明しているのであるが,残念ながら時間がかかっている。

 フューチャースクール推進事業などでは,事業の中で各学校にある程度の予算枠ようなものがあり,学校の裁量で若干のリソースをそろえられるという点など,現実として良い効果が確かめられている。ICT支援員さんが常駐していることもICT活用に幅の広さを生んでいる。

 もう少し学校が自分たちのカリキュラムに向きあうための権利やリソースを提供するという方向に向かわないと,日本の学校教育は,旧きものに縛られていることから抜け出すだけでも相当な労力を強いられ,新しい変革する世界に対応することに体力を向けられなくなってしまうように思う。

 新しいICTカリキュラムの中身も確かに大事だが,実は新しいICTカリキュラムを学校自身がつくっていける環境整備をするという点,もっと考えなければならない。

[FS徳島] 20120106 校内研修会

 年が明けて,担当している足代小学校の校内研修会に出席しました。公開授業も2月に近づいていますので,それに向けてエンジン再始動というわけです。
 今回は他校の様子をご紹介するというお題をいただきましたので,私が昨年度と今年度で訪れた他の実証校(広島,大阪,愛知,北海道)の様子をご報告した次第です。
 ちなみに,今月来月は申し込みが認められれば,長野,佐賀,広島,東京へ出かけてみようと考えています。あと,石川と山形にお邪魔すれば,小学校は全校制覇かな。冬の賞与は出張費として消えていきます。ははは… ^_^;

 校内研修会でお話ししたのは,他校を参観しての大ざっぱな報告や感想で,あれが良いこれが悪いといったことではありません。
 ただ,他校の様子を一つの反射鏡として自分たちの取り組みを考えてみることが大きな目的でした。
 お話を伺っていると,事業の初めに掲げられていた「協働教育」というキーワードは,思いの外,先生たちに大きなハテナマークを生んだまま放さないでいたようでした。
 また,徳島実証校は学校規模が120名と小さいため,あらためてICTを活用した協働学習の場面を生み出す動機が弱くなりがちであるという点も悩ませているようです。
 少人数であれば,もとより普段の学習から協働的であって,あえてICT機器を活用した協働の場面を生成するメリットを天秤にかけてみると,大変微妙なことも少なくないのです。
 公開授業の参観者は,1台のタブレットPCに数人が寄り集まって活発にコミュニケートしている児童の様子を暗黙に期待しているのかも知れませんが,それに近づけることが学校によっては変な遠回りになるかもしれない。そういうこともあり得るのでしょう。

 いろいろ考えなくてはならないことがありますが,今回は公開授業当日に至る過程も含めて取り組みを捉えることで,徳島実証校なりの実践をつくっていくことになりそうです。
 新しいアイデアも盛り込んでみたりしているようですので,遠方から来ていただいても十分興味を持って見ていただけるのではないかと思います。
 徳島実証校の足代小学校の公開授業日は2月17日です。

2011年から2012年へ

 皆様,2011年もお世話になりました。
 教育と情報の過去・現在・未来を見通したい本研究室にとって,2011年は国の教育情報化事業に関わる中での幕開け,慌ただしいものでした。
 3月には,東京への出張中に東日本大震災に遭遇し,他人事ではない中でその後の日々を過ごしたことが最も大きかったのかも知れません。
 大きな事態は,隠れていたものを露にしてくれることもあり,必要な決断がなされないことに大きな戸惑いを感じることも少なくありませんでした。
 そして年末,常々取り組みたいと願っていた教育情報化の歴史探究を始めようと決意したのでした。
 現在と未来を照らすための過去を紐解く時期が来たようにも思ったからです。

 2012年のことは正直わかりません。
 集めた資料と向き合いながらも,縦横無尽に動き回ろうと考えています。
 皆様にとって2012年がよい年でありますように。
                                2011年12月末
                                 林向達
  

PISAは「ピサ」なのか「ピザ」なのか

先日の研究会(BEATセミナー)はOECD-PISAのデジタル読解力と情報教育についてがテーマでしたが,そこで「PISA」の読み方についてちょっとしたやり取りがありました。

司会の方がPISAを「ピサ」と濁らずに発音したことに対して,発表者として登壇した有元秀文先生が「ピサと読まれたけどピザですので」と濁った発音が本来であると,ちらっと指摘されました。

有元先生は日本側のPISA担当者をされてきた方なので,OECD本部の担当者とのやり取りもあったでしょうから,その本部の方たちが「ピザ」と発音されているのを前提にされた指摘だったのだろうと思います。

PISAの発音の仕方は,ネット上でもたまに話題になります。

OECD本部の人たちが「ピザ」と発音しているんだから,正当な読み方は「ピザ」で良いのだといってしまえば,それも割り切りが良いのかもしれません。

でも,たとえばgoo辞書(デジタル大辞泉)なんかでは「ピサ」という項目でどうどうと掲載されています(その後、変更されたようです)。英語の「Programme for International Student Assessment」の頭文字でできた単語と考えれば「ピサ」と濁らず発音するのは当然のように思えます。

これいったいどうなってるの?と思う人もいるでしょう。

これはOECDの本部がフランスのパリにあるため,関係者が「ピザ」とフランス語の発音で読むことから起こっている多様性のせいだと思われます。

多分,命名した人たちはあんまり気にしていないと思うので「ピサ」と読んでも間違っていると思わなくてもよいでしょうし,PISAについて触れたり考えたりした中で「ピザ」と読むのがそれっぽいかなと思ったら濁って読めばいいというだけだと思います。

実は,これによく似た発音の違いを持っている単語があります。

それがクレジットカードでお馴染の「VISA」です。

これは日本だと「ビザ」カードと濁って発音していることがほとんどですよね。

しかし,VISAにも「ビザ」と「ビサ」という違った読み方があるのだということが知られていて,そのことは米国版ウィキペディアにも記載されているのです。

その記述によると,VISAを命名した人物はDee Hock氏という人で,このネーミングなら国際的にも認知されやすいという理由から名付けたそうです。

つまり,さまざまな国で認知されやすいということは,さまざまな発音で読まれることもある程度は想定範囲ということなのではないでしょうか。だから,「ビザ」でも「ビサ」でも構わなかったのだと思われます。実際,北米大陸とヨーロッパ大陸を市場にしていたわけですから織り込み済みだったのです。

というわけでPISAは「ピサ」なのか「ピザ」なのかという決着についてはつける必要はない。これが結論なのです。

しかし,正統派好きな人向けとしては,OECD関係者が使っている「ピザ」を使えばよいでしょうし,それはVISAカードの「ビザ」と同じような発音法だとでも言えば周りへの説明も簡単になります。