Androidに備える

 徳島で「Androidセミナー」が催されたので出席してきました。いよいよAndroid陣営の勢いが本格化しそうなので,情報を収集しておこうと思ったからです。
 講演者もNTTドコモの方とAndroidの会の丸山先生というこの時期に贅沢な面々。大変興味深いお話を聞くことができました。

 NTTドコモといえば,サムソンのGALAXY SとGALAXY Tabの発売を控えているわけで,そのお話も惜しみなく(?)お話しいただきました。
 ご苦労も多いようで「Twitterに書かないでくださいね」と釘指された話も多かったですが,ドコモとしてはGALAXYに大きな期待をかけ,単なる土管屋としてではないビジネス戦略を模索しているのは確かなようです。
 担当違いは重々承知の上で,教育分野・市場に対する取り組みは何かお考えですかと質問しました。領域としての重要性は認識されていらっしゃいましたが,具体的な取り組みはまだこれからといったニュアンスでした。
 この時期は,GALAXY始めとしたドコモのスマートフォンの普及とその事業を本格軌道に乗せることが最優先事項なので,たぶん来年になれば動きも見えてくるのかなと思いました。
 GALAXY SとTabの実物を触らせていただくことができました。
 GALAXY Sはハードウェアとしては立派な出来で,これならAndroidスマートフォンを持ちたいと思いました。すでに世界的なヒットになっていますので,売れないはずがないですね。
 GALAXY Tabも7インチタブレットとしてはありじゃないかと思いました。動作はSと同程度のように感じました。個人的には筐体のデザインをもう少しSのように薄さを意識したものにして欲しいと思いましたが,悪くはないです。
 Androidのハードとしては人に勧められるものだと感じました。
 残る問題はAndroid2.2のフィーリングが,まだiOSほどではないということ。滑るようなアニメーションで反応を返すiOSと比べると,カクッと止めが入る動きが残るAndroidは,せっかくのハードがもったいない感じがします。もっとも,これはバージョンアップとともに改善される部分だと思われます。

 丸山先生は,CPUの処理速度の話から始まって,メディアの変遷を追っかけながらクラウドとユニメディアの時代について,壮大なスケールで語る中にAndroidを位置づける話をされました。
 講演のレポートが課題となっていたのか,徳島大学の学生さん達がわんさとやってきて会場は満杯。そのわりにはせっかくの質疑応答にほとんど質問の手を挙げないので,結局私がまた教育について質問。
 丸山先生としては,クラウドを基盤としたメディアとそのデバイスに接するのは当たり前となることを前提として,そうしたメディアやデバイスを教えられる人材がほとんど居ないということに危機感を抱いていらっしゃいました。
 つまり,教える人たちを教育しなければならないということの必要性を考えておられたわけですが,教育者を教育することの難しさについて,悲観的な回答だったわけです。
 あとで個人的に話の続きを聞くと,悲観していても仕方ないので,会としてもいろいろ取り組みをしていますというお返事でしたが,技術周りを中心に活動している皆さんにとっては,教育分野のことはなかなか手が回らず悩ましい問題といった感じでした。

 現時点では,いろんな点でiOSデバイスが先行しているのは仕方ありませんが,マルチプレーヤーを受け入れるAndroidデバイスの方が今後爆発的な存在感を出していくことは間違いありません。
 教育現場における学習ツールにもAndroidデバイスのものが当然入り込みます。必然的に「文教製品」「学用品」としてのクオリティーを維持してくれるのかどうかが問われてくることになります。
 Androidについてもいまから注視しておくことが大事だと思います。

勝利の方程式

 スクールニューディール政策が残した支流は,多少の混乱はあれど,教育の情報化に関心を集める程度には生き残っています。

 皆さんは同じくくりにしか見えないかも知れませんが,電子黒板と学習者向けデジタル教科書と一人一台タブレットPCは,まったく異なる文脈にあったもので,どれも十分な議論を尽くさないままに合流させられてしまったというのが本当のところです。

 たとえばフューチャースクールの取り組みにデジタル教科書の議論を重ねることは,よいことではありません。重なる部分があり得ることは認めますが,重ならない部分が多すぎて,実りある議論をあまり期待できません。

 斯様に私個人の中では分けて考えているのです。

 すでに多くの企業が行動に移しつつあるので,特別目新しくはないですが,この日本で「教育用」あるいは「学用品」としての〈学習端末〉が成功するための方程式は明らかです。

 AndroidとHTML5とWebサービスを極めること。

 余力があるなら独自アプリでも新規プラットホームに手を出しても結構ですし,理想のデジタル教科書をつくるのも素晴らしいチャレンジですが,当面,上記の3つを最低限として標準規格をフォローして商品作りをする他,勝利する方程式はありません。

 Appleは特別。彼らは自分だけの勝利の方程式をもって,ユーザーを引き込むブランドを持っているのです。あの土俵は戦う場所ではありません。あそこはシャープに任せましょう。

 むしろ日本の電機メーカーにとっての警戒すべきはサムスンであることは明白です。技術力が劣っている訳じゃないのだから,素性のよいAndroid端末をつくってしまえば負けるはずはない。

 コンテンツ企業はまだ時間稼ぎができますし,最悪,海外勢の襲来に対しては翻訳権契約でもして間をつなぐ策もあります。

 早く自社の商品をHTML5ベースに移植して,Webサービスとして提供できるようにすることと,EduMallのような課金・配信システムと対等交渉できる組織作りをしていくべきです。複数の課金・配信システムにコンテンツ提供するような形にできれば,ユーザー側のシステム導入の選択肢が増えるというものです。

 将来はともかく,地盤をつくる現在において,シンプルなAndroidタブレットとPDFやePUBなどのコンテンツが各社から提供されれば,教育現場にも徐々に端末とコンテンツが浸透するはず。

 残る問題があるとすれば,体力が持つかどうかかも知れない。

教育の情報化ビジョン(骨子)の無反省性

 8月も終わりが見えてきました。まだまだ暑い日が続くようで,秋の気配に無頓着でいると,あっという間に冬に突入してしまいそうです。
 2010年8月26日付けで,「教育の情報化ビジョン(骨子)」が文部科学省より公表されました。これまで8回開かれた「学校教育の情報化に関する懇談会」や熟議カケアイなどの議論を踏まえて「取りまとめ」られたものです。
 来年度予算の概算要求直前のこの時期に出されたということからも,このビジョン骨子に基づく予算項目が盛り込まれることがわかります。
 まずは骨子の章立てを見てみることにしましょう。それと合わせて「ビジョン(骨子)のポイント」を比べてみると,疑問点が浮かんでくるかも知れません。

第一章 21 世紀にふさわしい学びと学校の創造
 1.21世紀を生きる子どもたちに求められる力
 2.教育の情報化が果たす役割
第二章 情報活用能力の育成
第三章 学びの場における情報通信技術の活用
 1.デジタル教科書・教材
 2.情報端末・デジタル機器・ネットワーク環境等
第四章 特別支援教育における情報通信技術の活用
第五章 校務の情報化の在り方
第六章 教員への支援の在り方
 1.教員の役割と情報通信技術の活用指導力養成
 2.教員のサポート体制の在り方
第七章 教育の情報化の着実な推進に向けて
 

 骨子本文の章立てと骨子ポイントの構造図は,基本的に対応関係にありますが,力点の置き方に(レイアウト制約の結果かどうかは,この場合置くとして)多少曖昧さを残しています。要するに「骨子」にも関わらず,優先順位が不明瞭なのです。
 まず,ビジョンが「21世紀を生きる子どもたちに求められる力」を育むことをトップ目標に掲げていることは分かります。
 以下,この目標のために必要なことが,演繹的に(場合によっては帰納的に)指摘されたり,整理されたりしていきます。

 トップ目標「21世紀を生きる子どもたちに求められる力」のために,次に必要と考えられたのは「(21世紀にふさわしい学びの創造と)教育の情報化が果たす役割」であるとされます。
 実のところ,この部分がビジョン策定の根拠を提供する要であり,人々を最も納得させなくてはならない部分でもあります。
 「なぜ教育の情報化なのか?」「必要であるとすれば何から順に手を付けていくべきなのか?」その説明にどのような論理を用いているのか,手の内を見せて納得させなくてはなりません。
 ビジョンでは,骨子のポイントが整理しているように,トップ目標「21世紀を生きる子どもたちに求められる力」とは,「知識基盤社会」「グローバル化」の世の中で生きていくための能力のことであり,「わが国の競争力や子どもたちの学力の低下」といった現状に対応しなければならないという捉え方です。
 そして,教育の情報化がそこで役割を担えるとした上で、
「情報活用能力の育成」
「教科指導における情報通信技術の活用」
「校務の情報化」
という三本柱と,それに付け加えて
「特別支援教育における情報通信技術の活用」と
「教員の支援」
が必要だと説明し,
「教育の情報化の着実な推進に向けて」必要な事項を最後にまとめています。

 しかし,この問題の捉え方と立て方は正しいのでしょうか。
 そもそも,この問題の捉え方はこのビジョン特有のものではありません。これまでの教育課程審議や学校教育に関わる議論にもたびたび垣間見られ繰り返されてきた問題の立て方です。そして,残念ながら問題の立て方に関して疑念を呈した議論がほとんど見受けられません。
 こう考えるのは,「教育の情報化ビジョン(骨子)」が,過去先行した取組みを踏まえて,今回はこう改善したという事柄を(含んでいたとしても)明示していないからです。
 目新しい事項が,21世紀に入ったことや他国が先取りした新しい事例,あるいは「デジタル教科書」や「教育クラウド」の可能性では,焼き直しビジョンと言われても文句は返せない。

 私は,ビジョンにおける問題の捉え方を反省的に表現すべきだと思います。
 つまり,旧来の学校教育が子どもたちの能力発揮の足かせとなっている現実について,もっと自覚的に捉えた上で,子どもたちの「知識」と「グローバル活動」を支える基盤としての学校教育を創造する〈ビジョン〉を描く必要があると考えます。
 そうした〈ビジョン〉を描く中に,足かせを解除する重要な手段として「教育の情報化」が主軸として位置付くのだと説明すべきです。

 「21世紀を生きる子どもたちに求められる力」を育むことの「足かせの解除」という捉え方で整理すると,先ほどの
「情報活用能力の育成」
「教科指導における情報通信技術の活用」
「校務の情報化」
「特別支援教育における情報通信技術の活用」
「教員の支援」
「教育の情報化の着実な推進に向けて」
という項目群に対して,考え記述することも変わってくるのではないでしょうか。
 「これこれが可能になったので取り入れたり対応する」こと以前に,「これこれするのを難しくしていた条件や規制を緩和する」方が大事ではないのか。
 私が今回のビジョン骨子に対して「屋上屋を重ねたもの」と感じるのは,反省的な視点が大きく欠けているためです。
 年度内に出されるであろう正式な「教育の情報化ビジョン」では,こうした問題の立て方を脱構築した上で,まったく異なる形で組み上げる必要があると考えます。
 そのような極端な提案が受け入れられないのであれば,少なくとも全ての項目について過去への反省を踏まえた改善案や具体案を含めるべきです。
 (そうしたとき,この議論はもはや日本の公教育自体をどう組み立て直すかというものに変わってしまうことは明白ですが…)

 もっとも現実的には,「教育の情報化ビジョン」は,総務省,経産省との連携を前提とした現況において策定されるので,その作業は今まで以上に難しいことも理解できるところです。
 そのため文書として出てくるものに過大な期待を抱くことが所詮は無茶な話であることも了解すべきかも知れません。
 だとすれば,その策定にかかわる人々の議論が問題になるのですが,果たして,それが私たち国民に伝わり納得できる形で出てくることが無い以上,このビジョンはどこまでいっても国民にとって雲の上のものでしかないかも知れません。

教室向けiPadアプリの開発

 iPadの登場に触発された電子書籍やデジタル教科書の話題が盛り上がっています。私も関心を持っていますし,そうした取り組みに貢献したいとは思っています。
 もっとも私個人は,盛り上がっている場所に人が多くいる場合,周辺で待機し,いざという時に備えるという性分なので,表面的には引き下がっていたりします。
 iPadの教育利用に関しても,議論は追いつつ,周辺待機しながらモノをつくるかぁ…という感じです。
 というわけで,そのモノのお話。

 教室向けiPadアプリの第一弾を開発しています。
 やっと骨格が出来上がって,残るはアプリとしてのアレンジ作業。
 基本的には「写真表示アプリ」です。
 授業でもプレゼンでも,その場で表示したい写真や画像を見せられるようなツールを目指しています。もちろん外部ディスプレイ出力機能も付けます。
 ただ,単なる写真アプリはAppStoreの審査で承認されないと思いますので,「教室向け」を感じさせるアレンジが必要というわけです。
 9月18日の日本教育工学会で行われる「タッチデバイスの教育利用」ワークショップでご披露できるように準備中。というか,そこで使えるアプリを開発中という感じです。
 

 
 以前から,大画面があって,iPadがあったら,どう使おうかとずっと考えていたわけですが,iPadには外部ディスプレイ出力に大きな制限があって,結構使い難いのです。
 プレゼン用途にはKeynoteというアプリがあり,これはプレゼン再生時に外部出力します。また,外部出力機能の付いたWebブラウザも有料で販売されています。
 写真などを見せたければ,プレゼンにあらかじめ貼っておくか,Webブラウザで表示させる方法を使うことになりますが,どちらも事前準備や作業が面倒な感じ。
 その場主義の私のような人間には,臨機応変に写真が取り出せて,パッと表示させられた方が気楽なのですが,これに見合う無料アプリがない…。というわけで,つくっております。
 デジタル教科書の仕様もあれこれ想像したりしていますが,どちらかというと電子黒板やiPadなどが入っている教室で先生たちが使えるツールは何かを考えることの方が大事かなと思っています。
 りんラボは,大学の研究室なので,アプリ自体は無料で提供することになりますが,教育ソフトウェア企業と連携して文教市場を成熟させるお手伝いはできると思います。
 もっとも私の研究室,特殊事情で私一人しか居ないんですけどね…。

ワークショップ「タッチデバイスの教育利用」9/18

 今年も日本教育工学会が9月18日から20日まで愛知県・金城学院大学で開催されます。(第26回日本教育工学回大会)実家に近いので,私も参加する予定です。
 日本教育工学会大会には「ワークショップ」という枠が設けられており,せっかく多くの人間が集まっているのだから何か自由にやってみたら?という場を提供しています。
 たまたまテーマの募集があったので次のようなアイデアを投げました。
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○ワークショップ名:
「タッチデバイスの教育利用 ~新しい技術やデバイスに注目と関心が集まる現象と実相を考える」
○ワークショップ概要:
 電子黒板やタブレットPC,iPad等スレート型端末といった「タッチデバイス」に注目が集まり,教育利用と研究への取組みにも強い関心が寄せられています。タッチデバイスは,情報端末を敬遠していた人々の関心を強く引き寄せ,特に指で直接操作する方法などは,幼児から高齢者まで幅広い層に対して操作のしやすさをアピールしているようです。
 その魅力的な可能性から,一部ではデジタル教科書教材など教育現場への導入の動きも活発化していますが,新しい技術やデバイスを採用したり,研究の対象としたりする際の課題や問題点が十分認識・共有されないまま事態が進行しがちです。こうした新しい研究対象の立ち上がりについて,進行中の事態を借りて話し合ってみたいと思います。
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 こういう企画に興味があるが,同様な企画がないならやってみてよいか?とメールで送ったら,先日「ワーショップテーマの採択」という返事をもらいました。
 というわけで,本年3月に開催した「iのある教育と学習」の姉妹企画が学会大会という場を借りて実現する運びとなりました。

 2010年9月18日(土)18:00〜19:30が予定されています。タイトな時間で遠大なテーマを扱おうという無茶ぶりは3月のまま。
 タッチデバイスの教育利用と銘打ちながら,企画案は技術普及に学術研究はどう貢献しているのか,していないのかという,敵をつくること必至な(^_^;内容ですが,率直なところを語るところから出発しようよというのが私の主義なので,ざっくばらんに語り合って楽しみたいと思います。
 ところで,上の企画案と実際のワークショップの内容計画は必ずしも同じではなく,これからあれこれ考えます。可能であれば,今回も私は黒子または司会の役目で場を見守りたいので,関連するテーマを語りたいという参加者を募ります。
 とにかく,また改めて情報発信してみようと思います。