Hawkridge (1991) 国家がIT教育に関わる6つの動機

  1. 社会的理由(The social rationale):コンピュータは社会において重要なので,それらを扱えるように児童生徒は準備すべき。
  2. 職能的理由(The vacational rationale):将来の仕事のために児童生徒はコンピュータを学ぶべき。
  3. 教育的理由(The pedagogical rationale):コンピュータが教科教育における教授を向上させる。
  4. 触媒的理由(The catalytic rationale):コンピュータが広範囲で教育システムを変革し,教授や学習の本質を変える。
  5. IT産業的理由(The IT industry rationale):学校のコンピュータをサポートすることが国内のハードウェア/ソフトウェア生産能力を生み出す。
  6. 費用対効果的理由(The cost-effective rationale):コンピュータは教師あるいはその一部を置き換えられる。

『Children and Computers in School』(1996)より

学校でのパソコンとの出会い方

私がGIGAスクールを詳しく扱ったのも,前倒し等の大幅路線変更が決まる前までなので,最新動向は知る由もありませんが,少しずつGIGAスクール関連で導入した学習者用情報端末が届き始めているようです。

見かけたニュース記事の画像をクリッピングしておきます。

児童生徒に端末を手渡しし,基本的な操作方法やルールなどをテキパキと伝えることに追われたのかなと想像したり,配信映像を見ながら想像していました。

ところで,GIGAスクールなど教育の情報化に関して積極的な情報発信を行っている豊福先生がこんなツイートをしていることに遅まきながら気付きました。

改めて書き出すと…

① 関係者への趣旨説明を丁寧にする事
② 導入最初のセレモニー(手渡しと開封の儀の演出)をする事
③ 大切な道具にするため扱いの自由度(シール貼ったり)を許容する事
④ 教員も児童生徒もデジタル連絡帳等で毎日使う事

です。どれもよいポイントだと思います。

2011年から2014年まで実施されていたフューチャースクール推進事業/学びのイノベーション事業は,国による児童生徒1人1台情報端末の実証事業としては初めてのものでしたが,上記の①②③④はそこでも重要なポイントとして機能していたように思います。

特に「②導入最初のセレモニー(手渡しと開封の儀の演出)をする事」ということに関して,かつての実証事業の小学1年生クラスで,児童が最初に情報端末と出会う授業を見たことは,いまも印象に残っていて,こうした出会い方とその後の付き合い方をイメージさせることがとても重要かなと思います。

もちろん「ルールをまもって」が最初の入り口ではあるのですが,その際の基本原則として「ぱそこんを/じぶんも/ともだちも だいじに」することが大切なんだと,みんなで意見を出しあってたどり着く場面があるのです。その原則をまもることで,できることが広がっていくんだ…という可能性とともにパソコンが手渡されるわけです。

こうした小学1年生での情報端末との出会いは,もちろん上級学年の児童たちのパソコンとの接し方や使いこなしというロールモデルがあってのことで,ひいては学校の成員(児童生徒や教職員や関係者)すべてがよりよきユーザー,いまで言うならデジタル・シチズンとして立ち振る舞うことを目指す必要があります。

豊福先生はそれをセレモニーという言葉で指摘していますが,これは単なる形式的な儀式(セレモニー)の重要性ではなく,精神的・文化的な効果を見据えた通過儀礼(イニシエーション)の重要性をも含み込んでいると思います。

当時,私が担当研究者をしていた徳島県の実証校で作成した研究冊子に次のような図が掲載され,あちこちの発表でも紹介されました。

大枠を理解していただくための単純化されたイメージですが,制御と自律のバランスをどのように日々細かく調整していくのかという問題に取り組まなければならないということが,容易に理解できると思います。

これは教職員と児童生徒だけの問題ではなく,教育委員会とその事務局に対応の柔軟さがなければ実現しえないし,地域社会の理解と忍耐がなければ支えられないし,そのためにはこの事柄に関して私たちがオープンに議論しあい修正的に関わっていく契機が維持されなければなりません。

フューチャースクール推進事業/学びのイノベーション事業に関わったのは全国の小中学特別支援学校20校でしたが,各校で形成されたデジタル文化はそれぞれ違っていました。

時を経て技術水準も変わりましたが,GIGAスクール構想は,実質的にそれら実証事業の成果を横展開する(普及させる)ことへの一歩です。

それはあの20校20色生まれた学校のデジタル文化が3万校3万色へと膨らんでいくことを意味します。3万色は,ある意味では3万通りということでもありますが,それらはいくつかの色彩にまとめられるかもしれないし,扱いようによっては鮮やかにも,また濁りを伴うことさえあり得ます。

はたして,どんな豊かで複雑な色彩を放つのか様々ありうるとしても,私たちが最初に出会う色は,混じり気のない純粋な色からであって欲しいと,そう思うのです。