20190213_Wed 東みよし町立足代小学校公開授業研究会

小学校の公開授業研究会に参加。

東みよし町立足代小学校は,2010〜2014年度に総務省フューチャースクール推進事業(裏事業として文部科学省の学びのイノベーション事業)の実証校を引き受け,私とはその時の担当研究者だったご縁。それが終わってからはしばらくご無沙汰だった。

平成30年度は,徳島県教育委員会の「第4次産業革命時代に活躍するためのプログラミング教育事業」で指定を受けたようで,小学校でのプログラミング体験をどのように取り組むかを先駆的に試みている。

指定を受けた3つの小学校は,それぞれ取り組む分類を違えており,足代小学校は「C分類 教育課程内で各教科等とは別に実施するもの」に相当する活動を担当したとのこと。当日の公開授業では「アリロロボットの利用」(2年生),「Scratchの利用」(4年生),「micro:bitの利用」(5年生)の様子を見ることができた。(先のホームページを参照のこと)

授業研究会では,ワールドカフェ方式を取り入れたグループディスカッションが行なわれた。「公開授業の感想を共有し,これからのプログラミング教育のあり方について」がテーマ。テーブル全面に貼られた模造紙の上に思い思いの感想や質疑を書き込み,その後,全体でテーブルを回りながら共有をした。

グループディスカッションの最後に,もとのグループで次のパネルディスカッションに向けたコメントや質問をミニホワイトボードに書いて一区切り。

次のパネルディスカッションのコーディネートを依頼されたというのが私のお仕事である。

パネルディスカッションのテーマは「プログラミング教育の現状と,これからのプログラミング教育」。

登壇者は,県立総合教育センターの先生,鳴門教育大学の先生,足代小学校で授業を公開してくれた先生,そしてコーディネーターの私。

進行案通りに,私のイントロダクションから始めるため事前にスライドを用意していた。

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プログラミング教育の現状とこれからのプログラミング教育
http://www.edufolder.jp/slides/ashiro20190213/

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ところが,スライドにあれもこれもと盛り込んでしまい,長過ぎて結局イントロダクションには使えなくなってしまった。仕方ないので,流し見で雰囲気だけ感じてもらって,スライドの説明は捨てることに。

スライドはプログラミング教育の歴史をまとめたような振りをしているけれども,まだ素材の断片を収集している段階のため,ほぼ未完成と考えてもらっていい。すでに足りない部分を教えてもらって更新もしている。

当日は,グループディスカッションから引き継いだ声も意識しながら,登壇者の発表を聴き,少しでもディスカッションに繋げようと積極介入した。面白かったような面白くなかったような。少なくとも苦情はきていないので,お役目は勤められたのだろうと思う。

20190123_Wed 統計倫理が必要

このところ勤労統計不正ニュース続き。

国の文書管理のお粗末な状況は今に始まったことではないとはいえ,今回の統計調査が実際の給付事業に影響を与えるという点で注目が集まった。

政府レベルの統計調査の扱いがこんなに杜撰な状況が,まるで当たり前のようになってしまうと,日本で統計調査やデータ処理を仕事にしている人々の信用問題にも繋がるのではないかと心配にもなる。

しかもデータサイエンスやAI技術など,統計が関わる専門分野は広がりを見せているわけで,そういった仕事にデータを誤魔化すことが日常化している国の人材が携わることに不安感を抱かせてしまったら,ますます取り残されそうで怖い。

研究者に対して,研究が公正に行われることを促すための様々な取り組みがある。

たとえば「研究公正ポータル」といったサイトがあり,研究倫理に関する様々な情報に触れることが出来る。また私たちは研究倫理を学修するように求められているため,それを支援する「研究倫理eラーニング」もある。

統計の世界には統計倫理というべき研究倫理があるようだ。

日本人に欠けているのは統計的な「センス」と「倫理」【特別対談】東京大学・竹村彰通教授(4)」(ダイヤモンド・オンライン)

ただ多くは,統計を用いる研究活動に対する倫理という括りで語られるようだ。しかし,行政やビジネスの世界で統計を用いることも珍しくなくなっているのであるから,研究倫理という言葉とはまた別に統計倫理を考えてデータの扱い方について考えていくことは重要になってくるだろう。

学校教育にも「データの活用」といった学習内容が入ったりして,統計教育への注目も高まっているが,統計倫理的な要素も含めて,もっと考えていく必要がありそうだ。

20190116_Wed 謎の工事の末に

研究日の水曜。

研究室の横には階段があり,そこを隔ててちょっとしたフロアスペースがある。自習用長デスクや掲示板,ソファもあるので学習スペース兼休憩スペースにもなっている。

昨年末あたりに壁に沿って据え付けられていた自習用長デスクの一つが撤去された。

なにがどうなるかも知らされず,新年に入っても撤去された部分はそのままで,休憩スペースが広く改善されるのだろうかと半分期待しながら進展を気にしていた。

ところが,この日,それは突然始まった。

朝からガガガガ,ゴゴゴゴと大工道具を鳴り響かせて,何かを作っている。

それは一日中続いた。

すぐ近くの関係者に「ちょっとうるさくなります,スミマセン」の一言ぐらいあってもよさそうだが,職場からも,工事現場で作業にあたる作業員からも,何も挨拶なく,それは続いた。

経験上,騒音系は自衛するしかない。

私はノイズキャンセリングイヤホンで音楽を聴きながら仕事をした。卒業論文の作業をしにやって来た4年生たちは,さすがに落ち着かなかったようで,早々退散して帰宅してしまった。

「今日は騒々しくてごめんね。」

なんで私が代わりに謝っているのか。と思わないではないが,それで潤滑するなら問題ない。

途中覗きに行ったら,ブースのようなものを作っていた。

「まさか喫煙ブースを作るわけないだろうから…おお,個人学習ブースかな!」

と騒音のイライラを朗報到着への期待にすり替えて,その日は一日過ごした。

学生たちも,工事の作業員も,全員帰って,他に誰もいなくなった職場で,仕事の一区切りがついたので,工事していたスペースの様子を覗いてみた。さぞ立派な学習ブースが出来ただろうと想像しながら。

出来ていたのは,無味乾燥な白い壁で作られた「ものおき」だった。

広々としていた休憩スペースの空間を削り取って,誰が使うかも分からない倉庫ができ上がっていた。

がっくりである。

20190109_Wed 4年生達の新年初来研

文献資料収集。

CiNiiで検索などして論文を集めてみる。キーワードによっては意外と絞り込めるのでコンパクトにまとめられるだろうか。とはいえ,関連する文献は山ほどありそうなので,それらを踏まえながらロジックの組み立て。

卒業研究指導。

4年生達が新年になって初めて研究室にやって来た。卒業論文の締切は確実に近づいているが,ゴールはまだ遠くに見える。いまの10倍くらい焦っていただきたいが,そうなったら逆に書けるものも書けないだろうから,ネジを巻くように最初は軽く,次第にギュウギュウときつく。

帰り道。

他のゼミの4年生達と鉢合わせ。かつて担任をしていたこともあって明るく挨拶。「先生,ご飯食べに行きます?」と誘ってくれたので,せっかくのチャンスだから一緒に夕食をすることにした。寒い夜だったので,鍋を食べるのに決定。学生たちに混ざって恋バナなどに耳を傾けながら楽しく過ごした。

奢ろうかと思ったら,支払い直前で財布のお金が寂しいことに気づく。仲良く割り勘。ちょっと無念…。

20181225-28_Tue-Fri

授業のない週。

クリスマスを含む連休中は,研究室の蔵書整理をしたり,我慢しきれずに映画『カメラを止めるな!』などをデジタル配信で視聴したり,のんびり過ごした。天皇の会見はあとからネットで拝見し,平成という時代が終わるのだなと感慨にふけったり。

火曜から金曜日は,授業もないので久し振りに文献とにらめっこしていた。プログラミング的思考を論理的思考の角度から論ずる際に「アブダクション」が重要になると考えているので,あらためて米盛裕二氏の『アブダクション』(勁草書房2007)を紐解いている。

27日あたりTwitter上でプログラミング的思考に関するツイートが賑やかになっていて,それぞれの立ち位置からの認識を垣間見れる状態にあるが,結局,最初の無理がいろんな形で波及してしまった当然の展開なのかなとも思う。本来ならば,これがちゃんとした舞台の上で論争なり議論として扱われて,もともとの言い出しっぺに返っていく通路が形成されるべきなのだけれども,このままだと単なるノイズとみなされて終わりになってしまうところが,教育とICT界隈の残念な現実である。

文部科学省が「プログラミング教育プロジェクトオフィサー(非常勤職員)」を新たに1名募集しているので,こうした界隈の交通整理がしたい方は応募してみてはどうだろうか。

プログラミング的思考の育成をアブダクションによる思考方法の獲得として考えることは,問題解決学習や主体的・対話的で深い学びを指向する今後の学校教育にとって自然に受け入れられる方向性だと思われる。

ただ,学校教育にとって最大の問題は「時間」に他ならず,プログラミング教育を小学校・中学校・高等学校における体系的な取り組みとする時の「割振り」をどう描き分けるのかが,実のところ専門家にさえ見通せていないというのが実情である。

アブダクションによる思考法を獲得するには,演繹と帰納による思考方法もステップとして踏まなければならないのが筋である。だとすれば,時間の限られる小学校で一足飛びにアブダクションまでたどり着けると考える方が難しい。では,どこから手をつけるのか。そうやって割振りを見積もり始めると,小学校だけで全てが完結し得ない事態も覚悟した上で,中学校への接続を前提とした現実的落とし所を描かざるを得ない。むしろ,中学校と高等学校は大丈夫なのか?それが関係者のもっぱらの心配事である。

平成の30年間は社会のIT/ICT普及活用の時代だった。次は,人間とコンピュータとの関係を再構築する時代に入ってきている。AIはその格好の入り口だったわけで,私たちはもっと熟考を重ねてコンピュータをデザインしていく必要がある。そのデザインにアブダクティブな思考方法が不可欠だと考える。

28日は年内出勤も区切りとなり,早々に帰省の途についた。

名古屋栄のAppleに寄って,仕事用のMacBook Proを修理に出した。バッテリーが膨らみつつあったので,深刻な事態になる前に対応したかった。事前の予約もAppleのサポートアプリからバッチリ確保して,万一のハードウェアリセットでも困らないようにバックアップも済ませた。基本的に「預けるだけ」「返ってくるの黙って待ち続けるだけ」にするとAppleの対応はシンプルで気持ちがいい。店先でごちゃごちゃする余地を残すと具合が悪くなる。

伝票を見たら「日本NCR」の文字。おそらくグループ会社のグローバルソリューションサービスが修理を引き受けているのかもしれない。長くAppleの修理プロバイダーをやっている企業である。それも安心材料。

というわけで年末年始はiPad Proのみで過ごす。