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前日,2018年12月10日は「IT誕生50周年」とのこと。

1968年12月9日(米国時間)に行なわれた歴史的なデモンストレーションから50年であり,1993年にインターネットの商用化が本格化してから25年というタイミングだから。

これを記念して,インターネット商用化25周年&「The Demo」50周年記念シンポジウム「IT25・50 〜本当に世界を変えたいと思っている君たちへ〜」が開催され,アラン・ケイ氏の基調講演とディスカッション部分がネット配信された。

アラン・ケイ氏は英国ロンドンからのビデオ会議による講演で,その中継映像を各地の会場で視聴したり,ネット配信で見ることができた。50年前にダグラス・エンゲルバート氏によって行なわれた伝説的デモンストレーション「The Demo」の会場に居合わせたというアラン・ケイ氏の話は興味深かった。

どうしてもマウスを発明した人物として紹介されてしまうダグラス・エンゲルバート氏だが,むしろ,人間に寄り添った総合的な情報システムを構想してデモンストレーションした人物であることが知られるべきだというのがアラン・ケイ氏の主張だった。

また,読むべき論文として「Augmenting Human Intellect: A Conceptual Framework」 – 1962 (AUGMENT,3906,) – Doug Engelbart Institute も紹介されていた。(ちなみに服部桂氏は今回も『パソコン創世「第3の神話」』をお勧めしていた。)

ディスカッションは,それぞれの参加者の問題意識のもとで発言が展開し,途中,アラン・ケイ氏のビジョンにインスパイアされてできたDynamiclandという実験空間についての紹介があったのは面白かったが,なんだか歴史を伝えきれていないという湿っぽい雰囲気になっていた。

歴史を重視している本研究室としても,今回のように25年や50年を振り返って歴史に触れ,そこに忘れてきた魅力的なアイデアを共有するという試みはとても大事だと考えている。

唯一気をつけなければならないなと思うことは,今回のようなテーマの関係者が特別なコミュニティに閉じてしまっていて,それはそれで歴史を共有してきた戦友達だから仕方ないけれど,そういう人たちの発信する物語を周りの人間がどうやって当事者意識を持って関わり受け止めるか,そこがうまくできるといいなということである。

まだまだ知らないことが多いので,こちらがひたすら歴史を勉強…という感じ。

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日本教育メディア学会年次大会初日。

鹿児島大学附属小学校での公開授業から始まった。4年生の総合的な学習の時間で「附属小学校の伝統を伝えよう」という単元。附小クイズを作成して,クイズに解答してもらう活動を通して学校の伝統を知ってもらうことを目指していた。

その際,選択クイズを出題するツールとしてScratchを利用し,そのプログラムの流れを考えるのが今回の授業であった。

選択問題のScratchプロジェクトを作成する際,回答に応じた処理が必要となり,「分岐」という考え方と「もし」ブロックの利用へとつなげていく。授業案で想定されていたのは,そのような展開である。

子どもたちは,前時よりペアになってクイズのプロジェクトを進めており,問題と回答に応じて表示する画面などはすでに作業が終わっているものの,回答に応じて表示するための処理は分かる子達以外は組み込めていないという状況だった。

伝統を低学年に伝えるためのクイズ作成という軸はぶらさずに,選択クイズをプログラミングしていくわけだが,ペアごとにブロックの組み立て方がバラバラなので,たとえばキー入力待ちの処理のしかたも,「ずっと」ブロックを使うペアあり,「○秒待つ」ブロック後に「もし」ブロックでキー判定するペアあり,そのまま「もし」ブロックを使っているペアあり…と動くものもあれば動かないものもあったりする。

今回の授業では,回答によって結果が変わることの必要性と「もし」ブロックの存在を知ることがひとつの目標だったが,限られた時間でプログラミング活動をする難しさみたいなものをあらためて感じた授業だった。

その後は一般発表と鼎談企画へ。

一般発表では「プログラミング」関連を聞いていたが,やはりまだまだ模索段階にあるなぁと感じた。その模索を否定したいわけではないのだけれど,ある程度厳しい問いに晒しながら進めないと,ごっちゃに受け止められてしまう懸念もある。

鼎談企画は「教育メディアのこれまでと展望」と題して,日本教育メディア学会と学会紀要の論文の歴史を振り返りながら語るもの。

教育と情報の歴史研究に携わっている私としては,興味津々のテーマと内容であった。携わっているといっても私自身は教育とコンピュータの領域から取りかかっているため,視聴覚教育の領域に関しては学ぶことばかりである。

学会前身の「視聴覚教育研究協議会」の第1回が1954年に行なわれた際,「わが国における視聴覚教育の現状」として「放送教育」「映画教育」「幻燈教育」「紙芝居教育」「視聴覚教育資料」「視聴覚教育の諸問題」「The Use of Audio-Visual Materials in the USA」といった立場からの発表があったという。こうしたキーワードから過去について,また今後の展望についていろいろな語りが出ていた。

その中ではかつての「西本・山下論争」を振り返って,昨今では「論争」があまりないこと,学会でもっと論争すべきといったご意見もあった。

ただ,論争がないというのは,多くの人々が注目をする論争のための場がないだけで,細々としたところでは異論を唱え合っているという事態は進行している。学会という場が論争の場になるためには,そうした言論空間の時代変化に対応していく必要があるだろう。

今回は学会史の序盤だけで終わった感じである。

そして,来年の年次大会で続編を企画しようかという話も出た。教育と情報の歴史研究会も再始動させて,徳島でも歴史を振り返る機会を持てるようにしたい。

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通常の授業日。

新しい内容の教科書へと切り替えることにしたものの,売店への入荷はしばし時間がかかるため,冒頭部分をコピーして配布することにした。各自がネットでピッと購入すれば数日で届くことは可能なのだけれど,このご時世になっても,いろんな人が関わって成立してきた手続きを飛び越すことの方が難しい。

プログラミング教育体験活動に関わってくれている学生たちが,秋の催しについて相談のため来研。独自に附属小学校の児童たちを募集する機会以外にも,大学祭にやって来てくれる子どもたちを対象とした体験機会をつくることも計画してくれている。

ただ,単発的な体験の機会となると「プログラミングを体験する」という側面を堅持するのがとても難しくなるという問題に直面する。

特にフィジカルデバイスのプログラミングは,ロボットやらセンサーやらのフィジカルなものを動く動かすという分かりやすさがある反面,動くことへの興奮がある程度おさまらないとプログラミングの方へ意識を向けさせるのが難しいし,その時間配分も予測が難しい。たとえば,ボール型ロボットを制御するという素材は,関心を掴むという点においてインパクト十分であるが,これを学習素材として料理する幅はそれほど大きくないのが実情である。食べ飽きるのが早いかも知れない。

子どもたちに向けてプログラミングを体験してもらうというねらいは少し諦めて,学生たち自身がこの活動を通してプログラミングというものを体験し馴染んでいくという裏側のねらいに重点を置くような感じになるのかなと思う。

グラハム・ベルが電話を発明して特許を取得したのが1875年と1876年のこと。

その頃の日本というのは,明治8年,9年といった時代で,ご存知文明開化の頃だった。電話もすぐさま輸入されたそうで,さっそく国産品の開発が始まり,逓信省による電話交換業務が始まったのは1890(明治23)年だという。

ところで,明治時代より前はどうだったのか。

気になって『江戸の理系力』(洋泉社)を覗いてみた。

電気にまつわる話だと,平賀源内の「エレキテル」が思い浮かぶ。1770(明和7)年の長崎遊学で壊れていたエレキテルを入手したものの,「当時の日本において電気の知識は皆無に等しかった」らしく,別の歴史年表によると平賀源内がエレキテルを修理したり模造品を完成させるのは1776(安永5)年までかかったらしい。

興味深いのは,大人の科学.netの「江戸の科学者列伝」(学研)等の記述によれば,エレキテルは見世物として使われたに過ぎないようだ。つまり,火花をバチッと出せてインパクトはあったけれども,実用的に使うものではなかったと。どこかの時代のボール型ロボットで似たような話を聞いたような…。

日本における電気の祖は橋本宗吉で,1811年頃に『阿蘭陀(おらんだ)始制エレキテル究理原』という本を書いたことから電気学が始まった,とのこと。

日本の電気の歴史もなかなか奥深い。

電通大附属図書館の古本市にて

2018年1月25日から27日まで,東京にある電気通信大学の附属図書館が,除籍図書を売却するための古本市を開催しました(古本市告知Webページ)。

「すべて1冊100円」という破格の値段で古本資料が買えるというニュースに小躍りして,ちょうど東京出張が重なっていたので,出発を早めて古本市に駆けつけることにしました。

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電通大の附属図書館の除籍本ですから,当然ながら理工学系の英語文献が多いわけですが,一般図書や図鑑・年鑑などもある程度出ていました。ほとんどは電通大生か院生の人たちで,量子力学や理論物理学の英語文献を当り前のように眺めて漁っています。

私の求めているものは,それとは違うレベルの図書ですが,どうもネットで販売する目的のせどりの人たちも居たようで,気を抜くと目ぼしいものが奪われてしまう感じです。

3日間行なわれた古本市の各日で陳列するジャンルが異なっているらしく,在庫は随時追加されるシステム。私は2日目に訪れて,『図解 コンピュータ百科事典』(1986)とか『総合コンピュータ辞典』(1994)とか,『パソコン通信ハンドブック』(1986)など,当時のパソコン事情を垣間見ることのできる図書を中心に購入しました。

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80年代の百科事典は,図版が多く,技術水準はいまと比べると未熟ですが,逆に基本的な仕組みを丁寧に解説することに力が入ることになるので,この分野の基本知識を独学するのに大変便利な図書になっています。現在,こうした要望を満たす図書を探すのは難しいのではないでしょうか。その代替が事実上Wikipediaになっているのでしょう。そう考えるとWikipediaへの寄付をもっと真剣に考える必要があるのかも知れません。

また『視聴覚教育研集ハンドブック』(1973)なんかを見ると,このときの視聴覚教育研修に対する熱と,いまの情報活用教育研修に対する熱とでかなり開きがあるなぁと感じたりします。

初日から参戦して通い続けたら,もっといろいろ手に入ったような気がしないでもないですが,それでも興味深いものをいくつか手にすることができ,早めの出発の甲斐もありました。

後記 – 『NEW』誌と時代を振り返る座談会01

2018年1月21日に「『NEW』誌と時代を振り返る – 座談会01」を行ないました。

これは,かつて1985年から2007年まで23年間刊行され続けていた教育向けパソコン活用情報誌である『NEW 教育とマイコン』(1995年4月より『NEW 教育とコンピュータ』と改称,以下『NEW』)と当時を振り返ることから,現在と未来を考える手がかりを得てみようとする試みです。

連続企画として考えていて,全体の初回となる今回は,創刊当時の編集長と副編集長,そして主要執筆者である方々にお集まりいただき,座談会形式としました。少人数での語らいから雑誌と刊行されていた時代を思い出していこうという意図でした。また,座談会の様子はネット配信するとともに,録画をして皆さんもアクセスできるようにしています(座談会01のWebページ)。

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大雑把な感想を先に書いてしまうと,やはり当時と現在で時代背景が大きく違うということを感じました。様々なことが,当時の経済状況や文化意識・時代認識に依存していて,たとえば,同様なことを具現化することは今日だと不可能に近かったりします。

そうした時代に依存した出来事を振り返ることにどれだけの意味があるのか,一般の皆さんには意義のようなものを見出せない取り組みかも知れません。私自身,気持ちが揺らいでしまう部分がないわけではありません。しかし,現在や未来を把握することは,過去に何があったかを知ることから始める必要があります。いまは,そのための記憶や記録の断片を集め留めておく作業が圧倒的に足りないのです。

必ずしも統制された方法で資料を収集管理できているわけではないのですが,とにかく残せるものを収拾確保して残していこうとしています。ご関心ある方は「教育と情報の歴史研究」ページにご注目いただければと思います。

『NEW』誌の創刊は,初代編集長である貞本勉さんとご同僚方の尽力によってなされました。ある意味では,「貞本勉」という人物の軌跡を追うことが『NEW』誌の始まりを追うことになります。

今回の座談会によって,

  • 貞本氏は学習研究社入社前は中学・高等学校で教員をしていた経験がある。
  • 学習研究社への入社は,新たな教育システムの開発に従事するためだった。
  • 当時は,スキナーの「プログラム学習」理論が注目され,そうしたシステムの開発だった。
  • その後,「アナライザー」の開発にも取り組んだ。
  • 教育システムに対する評価が芳しくなくなったこともあり,教育書編集の担当へと変わる。
  • やがてパソコン教育利用の情報誌の刊行の企画が持ち上がる。
  • 既刊雑誌『学習コンピュータ』上の教育情報コーナーとして雑誌創刊の準備が始まる。
  • 『学習コンピュータ』誌が,『合格情報処理』誌と『NEW 教育とマイコン』誌に分化する。
  • 「NEW」という名前は「新しい教育の波」(New Education Waves)に由来する。
  • 創刊時「教育とマイコン」を雑誌名に選択する際,実は「パソコン」など他候補もあった。
  • 創刊前に,パソコン教育利用研究会全国一覧を作成し,各地の研究会の協力を仰いだ。

など,当時の貞本さんの奔走ぶりが見えてきました。

こうした貞本さんのパソコン教育利用情報誌づくりを技術的な側面で支えて来られたのは清水永正さんです。当時は,百科事典編集や情報技術者試験向けの雑誌の編集に携わっており,『マイコンライフ』というパソコン技術情報誌の編集をされていた頃に新しい雑誌をつくる仲間として貞本さんと合流されました。

その後,副編集長として『NEW』誌の刊行を支え,貞本さんが編集長から編集人へと代わられるのを機に『NEW』誌編集長に。その後,編集人へと立場を変えながらも,『NEW』誌の前半期に長く関わられてきました。姉妹雑誌『FD教材データ』や『教材CD-ROM』など,様々な展開にも清水さんは尽力されてきたのです。

また,雑誌の企画指導協力者の1人として岡田俊一先生,そして当時小学校の先生の立場として雑誌に記事を寄せていた原克彦先生も座談会に加わっていただき,当時の様子を教えていただきました。それについても機会をあらためてご紹介したいと思います。

貞本さんが語ったエピソードの一つ,当時開発された新しい教育システムの「アナライザ」にまつわる話がありました。

これは児童生徒に選択ボタンを持たせることで,5肢までの選択質問の回答を集計できるシステムです。これを児童生徒の理解度把握に利用することで,回答に応じた支援に繋げることができるというものです。特に,「その他」という選択肢を選んだ児童生徒に向けてどう対応していくかがとても重要であると貞本さんは語っています。

うまく活用することでよりよい学習支援に繋がり,アナライザーの利用がより進むと考えられがちですが,実際には,うまくいかなかったそうです。

なぜならば,子供たちの現状が把握できるということは,翻って,先生達にとって自分の授業の善し悪しが見えてくることでもあり,出てきた集計結果が自分の授業の未熟さを指し示しても,うまく対応できないまま次から次へと時間が流れていってしまうことで,直に先生達が嫌になって使わなくなってしまうことが起きたといいます。

学習状況の把握や学習履歴の蓄積を学習や支援に建設的に生かすというモチーフは,ビッグデータやAI,アダプティブ・ラーニングなどといった言葉が登場してはいますが,今日の教育とICT界隈でも生き続けています。

最新技術のおかげで,データ解析結果に応じた適切な対応や支援を有効的に提供できるようになっている部分もありますが,とはいえ,先生達にとってはデータ解析結果をどのように活用すればいいのか,そうしたデータに接する際のメンタルな部分について,どう対応しどう処理するのかという十分な蓄積があるわけではありません。直に先生達が嫌になってしまうという,かつてと同じことが起こらないという保証はないのです。

今回の座談会でお聞きした話から,こうした,現在や未来の取り組みで考えなければならないことのヒント等を見つけ出せるとよいなと思います。ただ,そのためにもまだまだ掘り起こしが必要な段階だと思います。

次回の企画は未定ですが,引き続き,座談会企画やバックナンバー記事をたどる企画など考えて実現していきます。