いよいよ年度替わりを迎えます。
りんラボにとっての平成22年度は,実に慌ただしいものでした。一年前の記録を振り返れば,ブログにはiPadの話題が溢れています。
そう,まさにiPadの年(Year of the iPad)だったわけです。
りんラボとして平成22年度はタッチデバイスの教育利用に関して邁進しようと考えていました。
授業と校務の隙間で文献資料集める日々が始まり,iPadアプリの開発にも意欲を見せていました。学会でのワークショップ実施とか,アプリのプロトタイプ開発までやっていたのは確かです。
しかし,もう一つ大きな仕事を請け負っていたのも平成22年度でした。
総務省のフューチャースクール推進事業です。年度後半は,どっぷりとそちらにはまり込んでしまいました。
たくさんの人間が関わる国家事業の一部ですから,できるだけその背景を理解する努力が始まりました。国の仕事に関わるのは初めて,その流儀は誰も教えてくれませんので,周りに迷惑をかけながらもぶち当たって確かめるの繰り返しをしていました。
そんなことをしているうちに平成22年度が過ぎ去ろうとしているわけです。
—
さて,平成23年度の予定。
・フューチャースクール推進事業
・教育の情報化に関する本を執筆
この2つを中心に進めていく予定です。
フューチャースクール推進事業では,文部科学省の学びのイノベーション事業も自動的に関係することになるので,それなりに対応しながら,またいろいろ発信してみます。
本を書いてみようというのは個人目標で,自分が関わったことや調べたことをまとめるタイミングかなと考えているということです。PDFで公開しながら執筆していきたいと思います。
平成23年度は,担当する授業の時間割りがさらに不都合な散らばり方になり,外部で仕事するのが難しくなりそうなので,閉じこもって文章を書こうというわけです。
あとは,隙間でプログラミングでもして気晴らしをしようと思います。
さて,平成23年度も頑張りましょう。
カテゴリー: 話題
ご卒業・ご修了おめでとうございます
この時期は卒業・修了,また異動などの見送りとお別れの季節です。
私の職場でも先日,卒業式が行なわれました。そして私の古巣でもたくさんの後輩たちが卒業や修了を迎えて新たな場所や時間へと移ろうとしています。
–
この職に関わって十何年が経ちました。時間ばかりが経って,私自身は相変わらずで恥ずかしい限りですが,見送る立場をそれだけ繰り返したことになります。
基本的に別れは好きではないので,その裏返しで他人に深入りしない質です。
教え子たちのほとんどが「女の子」なのは幸いで,もともとうだつが上がらない男性教員には関心もないし,卒業してもほとんど会うこともないので,見送る寂しさに耐えれば,それでまた次へと進む,その繰り返しで過ごせます。
時々,教え子たちは元気にしているだろうかと思いを馳せることはあります。
けれども,「教え子」という不特定多数の集合体となった,その一人一人に対しては,所詮,私自身がやろうとしていることでエールを送ることしか出来ません。だからもっと精進して頑張らないと。
数々の仕事でご一緒した方々のことも,また思い返すことがあります。
思い返す人が多くて,そして私の記憶力の悪さが祟って,もはや顔と名前が一致しないということも多いです。何かの機会に再会しても,ど忘れしていることもあります。
それでも,ご一緒していたことは嬉しいことであるし,そのことに感謝もしています。こちらもまた,ご恩を返すために自分自身の仕事を頑張らないと,と思います。
–
私は40歳になりました。
もう30代ではありません。そのことの意味を考えて,行動にも移さなければならないとは思います。
才覚溢れる若い人達はたくさん居ます。その人達が今の時代を切り開くことが出来るように,私は何かをどける役目を負っているのかも知れない。そう思うことがあります。あまり気持ちのよい喩えではありませんが,土砂や瓦礫を除去して仮の道路スペースをつくるような仕事のイメージです。
もちろん,何を求められているのかどうかに拠ります。もっと創造的な仕事が望ましければ,積極的にそれに関わっていきたい。
そして,いつか私のラボに教え子が出来たら,彼,彼女等とあれこれやってみたいと思います。それまで「りんラボ」は,教育と情報界隈を放浪する一人の研究者の旅路として続きます。
新たな時間を迎えるすべての皆様に,心からのエールを送ります。
東京で地震に遭遇しました
3/10からセミナー参加や資料収集のため東京に出かけていました。
3月10日のお昼の飛行機で羽田に到着して,そのまま東京大学に向かいました。まずは出身研究室にお土産を届け,夕方にある外部でのセミナーまで教育学部の図書室で資料漁りをしていました。
外部でのセミナーが終了した後は,特に宿も決めずに上京したので,以前住んでいた池袋に足が向いて,そこのカプセルホテルで一泊。
その日は平穏な東京滞在でした。
—
3月11日の朝は,国立国会図書館へ行こうか,東京大学へ行こうか,迷った結果,東京大学で一日粘ることに決めて出かけました。
普通の金曜日の朝でした。
午前中は,書棚の間を巡って文献を探し出し,積み上がった文献をひたすらコピーしていました。2時間弱くらい,ずーっとコピー機の前で文献をひっくり返してボタンを押していたわけです。
お昼ご飯時でしたが,納得のいく資料がまだ探し出せていなかったので,引き続き書棚の間にたたずんで,古い雑誌をローラーで眺めていました。
欲しかった情報が見つかれば,紙のしおりを挟んで積み上げて,後でまとめてコピーするために,ずーっと書棚の間で探し続けていました。
そんなことをしているときにゆらゆらと来たのです。
—
少し待てば収まるだろうとじっとしていましたが,揺れは続きます。
あまりに続くので,大きく広い自習机のあるところに出て,他の利用者と顔を見合わせました。声も出さずに「…大きいですね…」と口の形だけで確認し合いました。
やがて女性の司書さん達が「きゃ〜たいへ〜ん」とこちらにやってきます。
「ちょ,ちょ…,動かないほうがいいですよ!」
揺れは依然として続く中,司書さん達に声を掛けます。
一人の司書さんが私たちの居る机のところまでやって来たところで,揺れが一弾と強くなって,私たちも「机の下に!」と隠れると,地震シミュレーターで体験したことのある,あの強い揺れが図書室を襲いました。
教育学部の建物は歴史がある古い建物の上に,私たちが居る図書室は最上階である4階に置かれているので,それもあって揺れ幅が大きかったのかも知れません。
机の下に隠れている間,文献図書がばっさばっさと落ちてきて,書棚はぐわんぐわんとたわみ,私たちも強い揺れに振られる中で,日頃の冗談を悔いました。
「本に埋もれて死ぬのは本望」と研究者魂を喩える話として冗談を言うのですが,本当に埋もれて死ぬのは洒落になりません。
ようやく揺れがおさまって,あたりを見ると写真の感じ。
みんなで建物の外へ避難し,お互いの安否を確認したわけですが,さすがに図書室に戻ることは出来ない状態。「このまま閉室ですよ…ね」「そうですねぇ」てなことで,欲しかった論文をコピーできずに図書室から強制退去させられてしまいました。
図書室の復旧もいつになるやら…。
—
そして,福武ホールにある古巣の研究室に避難をして後輩たちと再会…
…したのも束の間,2度目の大きな揺れがやってきて,またもみんなで机の下へ。
福武ホールは安藤建築として有名で,その安藤さんは阪神大震災のことも念頭に建築物を設計してきた方ですので,耐震性についてはどこよりも安心できます。
しかし,地面とともに大きく揺れることには変わりなく,乗り物酔いのような気持ち悪さが襲ったりと,不安な事態には変わりありません。
その後は,大学の避難マニュアル通りに行動することになり,情報学環の本館前に集合することになりました。
全体の安否確認が行なわれるのですが,外部からの来校者も含む大勢の人々を誘導することも難しいですし,建物の現況などの把握も時間がかかります。その間も,幾度も余震が感じられました。
とりあえず安否確認後は大学業務も中断され,解散となったわけですが,この時点で,今回の地震の全体像を把握していた人はほとんど居なかったと思います。駅などに帰宅困難者が溢れ返る事態になっているとは誰も想像していなかったのではないでしょうか。
宿泊先も確保していない私は,とりあえず福武ホールに戻ることにしました。
–
iPhone片手にTwitterを眺めるのですが,断片的な情報からは各地で被害が出ていることくらいしか想像できませんでした。
ケータイのワンセグでテレビを見ても,直後では地震の揺ればかりに注目が集まる段階で,津波の被害の酷さを知るのは後になりました。
騒ぎが縁で初めてご一緒した人やリアルでお会いすることになった方々と挨拶や自己紹介などの会話をして時間を過ごしていたので,自分たちが被災しているという感覚は少なかったと思います。
やがて携帯電話の通話回線が使えないことはもちろん,ほとんどの交通機関が不通になったことが確定的になると「動けない」「帰れない」という事実も実感され,その晩は東京大学で夜を明かすことを理解します。
私たちは,帰宅難民として福武ホールに一泊することになりました。
久し振りにお会いした恩師は,緊急事態の対応で奔走され,院生や大学スタッフの皆さんは食料などを調達しに動いてくれていました。
福武ホールには海外からの学生も多いので,そうした学生達もパソコンを使ってネットから情報を収集しながら事態を注視していたようでした。
—
手元の情報源はネットとテレビ。
iPhoneとiPadでTwitterやYAHOO!ニュースなどを確認したり,ケータイのワンセグでたまにテレビのニュースを見たりという情報収集でした。
しかし,事態の全体像を把握することが難しい。
自分たちの関心事は,首都圏の交通機関だったりするし,Twitterで流れてくる断片的な情報だけでは,全貌を描くことは難しい。
一夜明けて,なんとかかんとか徳島に帰宅した後,ノートパソコンやテレビで落ち着いて情報収集をし直してみると,震源近くの宮城の被災状況と原発事故には衝撃を受けることになりました。
出来る支援をしていかなくてはならないと思いました。
公開授業の参観や研究会の傍聴や…
3月に入りました。
先週は出張ウィークでした。大阪と東京はバス移動,広島は電車移動で,公開授業の参観や研究会の傍聴をしていました。すべてフューチャースクール絡みです。
それぞれ詳しく書かねばならないと思いつつ,ツイートしたあとは,しばらく寝かせている感じです。公私含めて考え事がいろいろあって,後手になっているところもあります。
手短に…。
—
公開授業はそれぞれの実証校の取組みに励まされました。
今年度における私のまなざしは機器環境の導入と受容という部分に重点化されているので,年度途中から短期間のうちにかなり環境適応していることは感心します。
かなり無理もされているのだろうと思いますが,現場の先生方も子ども達も新しい道具や環境と上手くつき合うことが出来ているように思いました。
参観させていただいた実証校はどちらも教育効果や学習効果にも強い関心を抱かれており,ICTを活用した授業づくりという点でも従来までの蓄積を踏まえたものを目指していたのが印象的でした。
その部分は,何を目指すかによって議論も変るので後日考えることにします。
—
研究会の傍聴は,複雑な思いを抱くことになりました。
期待が満たされなかったということではありません。素人とはいえ,審議会行政や有識者会議のようなものに対して囁かれている問題などは知っていますから,過度な期待はしていません。
むしろ,期待できないだろうと想像していたようなことが淡々と進行していくのを確認することは,やはり気持ちを萎えさせるということです。
しかし,他にやりようがあるのかという問いに,私はまともな代替案を持っていません。そのことも私の気持ちを萎えさせているのかも知れません。少なくとも,いまはこの仕組みの中でしか動けません。
私自身は,物事の両面について言及し,批判的であると同時に肯定的にものごとを進めていくように振る舞わなければならないと考えます。
一方で,嘆いても,一方では,能天気に進まないと…。
—
さて,任された仕事を頑張ることにします。
本棚増設
先月下旬から慌ただしくて心落ち着かない日々が続いていました。科研費申請もそうですし,フューチャースクール関連の仕事,そして私個人の蔵書引っ越しなど,いろいろ出来事がめまぐるしかったからです。
—
そして,いま私の研究室は大変な状態になっています。分散していた蔵書を統合するために運び込んだ荷物が片付けられない…。本棚二重にしてみたんですが,荷物の半分くらいを開封した時点で満杯になってしまいました。
印刷書籍のデメリットは場所を取ることだと言われていますが,まさにこのデメリットに泣いている状態です。とはいえ,これを「自炊」と称して電子化したところで場所の問題は解決するとしても,今度は二度と開かず読めないのではないかという恐怖感もあり,あらためて「モノとしての本」の存在を考えてみたりします。
というわけで,落ち着いて考えたり文章を書いたりする環境がまだまだ安定しないために,最近は心も穏やかではありません。