[徳島]第1回FS協議会の予定

 2010年8月27日に総務省「ICTを利活用した協働教育推進のための研究会」の第2回が行なわれたようです。総務省の研究会の構成メンバーが増えたことや「協働教育」の考え方について整理した資料が公開されています。
 西日本の徳島地区では近日中に第1回協議会が行なわれる予定です。各校ごとに細かいスケジュールは異なるので,すでに会が済んで取組みが始まっているところもあるでしょうし,まだこれからのところもあるようです。
 東日本と西日本の実証実験には,多少違いもあります。それは総務省・研究会で配布された資料をご覧いただくとわかります。

 素朴な疑問。この時点で実証実験にかかわる「私」には,どんな連絡が届いていたり,どんな景色が見えているのでしょうか。
 答え。事業請負業者から職場への依頼書と地区の第1回協議会の簡単な資料が届いただけ。総務省・研究会の情報は国民と同じくWebで見る。

 協議会の場で総務省・研究会の報告を短く受ける予定であることがわかっていますが,特別な資料や全体の実証研究に関わる意志疎通のための懇談会みたいなものがあるわけではありません(いまのところ…)。
 個人的に学会繋がりで関係の諸先生方に連絡をとることができないわけではありません。ただ,情報交換や意志疎通を新しい文脈で構築するにあたって,属人的な繋がりにだけ頼ってしまっては,全国展開でたくさんの人々を巻き込むときの役に立ちません。
 後日の協議会で,どれだけ見晴らしがよくなるのか,またご報告したいと思います。

田原「デジタル教育批判」本を斜め読みして

 デジタル教科書に関心のある人々の間で話題になっていた田原総一朗さんの『緊急提言!デジタル教育は日本を滅ぼす』(ポプラ社/1400円+税)を読みました。
 近所の本屋さんに売っていたのは意外でした。ハードカバーであることも含めて,やはり田原総一朗さんの影響力は大きいのだなと感じました。
 多少駆け足で目を通す感じの斜め読みをした感想としては,「デジタル教育」というキーワードに触れつつも,基本的には田原総一朗さんの教育論をまとめた本だと分かりました。
 筆者自身の提案なのか,企画した出版社の提案なのかは定かではありませんが,もともと田原さんの教育論が支柱にあって,そこに昨今の教育の情報化やデジタル云々も絡ませようとした結果であることは明白です。
 そのことを理解して読むと,この本を「デジタル教育批判」として受け止めて,その部分の記述を細かく反論することに意味がないことは分かります。
 細かい反論を試みる行為自体が,何かしら正解を出さねばならぬという意識から出発しているのではないか。
 確かに,困ったイメージ(デジタルやその技術の活用が教育に害があるかのようなイメージ)の流布を放っておくわけにはいかないと考えている人も多いので,そのためのパフォーマンスは必要と思いますが,それと合わせて,この田原本の位置づけをできるだけ背景を踏まえて明確にする努力も必要です。
 

 ここ数ヶ月,田原さんがメディアに登場する際,教育の問題について語る機会が多くなっていました。おそらく,この本を執筆していた時期だったのではないかと思います。
 そして,戦争と戦争に負けた以降とで,学校の教師の言うことが変わってしまい,価値観が180度変わったエピソード(76頁前後)を語ることが多かったのです。こうしたことからも田原さんの言動は,この原体験に強い影響を受けていると思われます。
 こうした原体験を持った人から,戦後の教育行政や教育改革,あるいはマスコミにおける教育言説や現代社会における人々の行動様式を見たとき,目に見えない形ではびこる「無責任」体制が日本を滅ぼしつつあると考えるのは理解できなくはありません。(その無責任さをデジタルで象徴させようとした意図がチラッと見えますが,残念ながら失敗していると思います。)
 
 なぜ人々は,自らの範疇を超えてでも物事の懐疑に正面向かって対峙しようとせず,(定型的な落とし所で)完結してしまいがちなのか。
 「教育」でも「政治」でも「事業」でも「デジタル教科書」でも,どんな事柄においても,その範疇を超えたところに関係し得る重要問題があるやも知れないのに,それを掘り起こそうとしないのはなぜなのか。
 今回の場合は「デジタル教育」なる言葉で新しい教育の可能性が語られているけれども,それが結局は旧態依然の定型的な教育行政(あるいは政治・官僚手法)で進められていく変わらなさになぜ誰も疑問を呈さないのか。
 
 田原さんの問題意識は,こうした事柄に重心があると私は理解します。
 

 「♪だって〜,しようがな〜いじゃない」と思うかどうかは立場にも拠るでしょう。国の仕組みが変わっていない以上,現実を動かすには旧来手法を援用しなければならない事情もあります。
 
 ただ,田原さんがその可能性を認めているように,ネットの在るこの時代においては,新しいコミュニケーションの可能性も生み出し得るはずです。
 「そのことを真剣に取り組むつもりがあるなら,やってみろ!」
 この本は,長い年月,日本という国を見続けてきたジャーナリスト田原総一朗さんからの激励なのでしょう。そのためには,積み残している様々な課題に真正面から取り組むことが大事なのだとアドバイスが添えられている…そう受け止めておくことが大事なのかなと思います。
 そう理解するためには,かなり行間を補って読む必要がある点は,玉に瑕なのですが,それは緊急出版させた出版社にも責任がありますね。ポプラ社さん,もっと丁寧にね。

教育の情報化ビジョン(骨子)の無反省性

 8月も終わりが見えてきました。まだまだ暑い日が続くようで,秋の気配に無頓着でいると,あっという間に冬に突入してしまいそうです。
 2010年8月26日付けで,「教育の情報化ビジョン(骨子)」が文部科学省より公表されました。これまで8回開かれた「学校教育の情報化に関する懇談会」や熟議カケアイなどの議論を踏まえて「取りまとめ」られたものです。
 来年度予算の概算要求直前のこの時期に出されたということからも,このビジョン骨子に基づく予算項目が盛り込まれることがわかります。
 まずは骨子の章立てを見てみることにしましょう。それと合わせて「ビジョン(骨子)のポイント」を比べてみると,疑問点が浮かんでくるかも知れません。

第一章 21 世紀にふさわしい学びと学校の創造
 1.21世紀を生きる子どもたちに求められる力
 2.教育の情報化が果たす役割
第二章 情報活用能力の育成
第三章 学びの場における情報通信技術の活用
 1.デジタル教科書・教材
 2.情報端末・デジタル機器・ネットワーク環境等
第四章 特別支援教育における情報通信技術の活用
第五章 校務の情報化の在り方
第六章 教員への支援の在り方
 1.教員の役割と情報通信技術の活用指導力養成
 2.教員のサポート体制の在り方
第七章 教育の情報化の着実な推進に向けて
 

 骨子本文の章立てと骨子ポイントの構造図は,基本的に対応関係にありますが,力点の置き方に(レイアウト制約の結果かどうかは,この場合置くとして)多少曖昧さを残しています。要するに「骨子」にも関わらず,優先順位が不明瞭なのです。
 まず,ビジョンが「21世紀を生きる子どもたちに求められる力」を育むことをトップ目標に掲げていることは分かります。
 以下,この目標のために必要なことが,演繹的に(場合によっては帰納的に)指摘されたり,整理されたりしていきます。

 トップ目標「21世紀を生きる子どもたちに求められる力」のために,次に必要と考えられたのは「(21世紀にふさわしい学びの創造と)教育の情報化が果たす役割」であるとされます。
 実のところ,この部分がビジョン策定の根拠を提供する要であり,人々を最も納得させなくてはならない部分でもあります。
 「なぜ教育の情報化なのか?」「必要であるとすれば何から順に手を付けていくべきなのか?」その説明にどのような論理を用いているのか,手の内を見せて納得させなくてはなりません。
 ビジョンでは,骨子のポイントが整理しているように,トップ目標「21世紀を生きる子どもたちに求められる力」とは,「知識基盤社会」「グローバル化」の世の中で生きていくための能力のことであり,「わが国の競争力や子どもたちの学力の低下」といった現状に対応しなければならないという捉え方です。
 そして,教育の情報化がそこで役割を担えるとした上で、
「情報活用能力の育成」
「教科指導における情報通信技術の活用」
「校務の情報化」
という三本柱と,それに付け加えて
「特別支援教育における情報通信技術の活用」と
「教員の支援」
が必要だと説明し,
「教育の情報化の着実な推進に向けて」必要な事項を最後にまとめています。

 しかし,この問題の捉え方と立て方は正しいのでしょうか。
 そもそも,この問題の捉え方はこのビジョン特有のものではありません。これまでの教育課程審議や学校教育に関わる議論にもたびたび垣間見られ繰り返されてきた問題の立て方です。そして,残念ながら問題の立て方に関して疑念を呈した議論がほとんど見受けられません。
 こう考えるのは,「教育の情報化ビジョン(骨子)」が,過去先行した取組みを踏まえて,今回はこう改善したという事柄を(含んでいたとしても)明示していないからです。
 目新しい事項が,21世紀に入ったことや他国が先取りした新しい事例,あるいは「デジタル教科書」や「教育クラウド」の可能性では,焼き直しビジョンと言われても文句は返せない。

 私は,ビジョンにおける問題の捉え方を反省的に表現すべきだと思います。
 つまり,旧来の学校教育が子どもたちの能力発揮の足かせとなっている現実について,もっと自覚的に捉えた上で,子どもたちの「知識」と「グローバル活動」を支える基盤としての学校教育を創造する〈ビジョン〉を描く必要があると考えます。
 そうした〈ビジョン〉を描く中に,足かせを解除する重要な手段として「教育の情報化」が主軸として位置付くのだと説明すべきです。

 「21世紀を生きる子どもたちに求められる力」を育むことの「足かせの解除」という捉え方で整理すると,先ほどの
「情報活用能力の育成」
「教科指導における情報通信技術の活用」
「校務の情報化」
「特別支援教育における情報通信技術の活用」
「教員の支援」
「教育の情報化の着実な推進に向けて」
という項目群に対して,考え記述することも変わってくるのではないでしょうか。
 「これこれが可能になったので取り入れたり対応する」こと以前に,「これこれするのを難しくしていた条件や規制を緩和する」方が大事ではないのか。
 私が今回のビジョン骨子に対して「屋上屋を重ねたもの」と感じるのは,反省的な視点が大きく欠けているためです。
 年度内に出されるであろう正式な「教育の情報化ビジョン」では,こうした問題の立て方を脱構築した上で,まったく異なる形で組み上げる必要があると考えます。
 そのような極端な提案が受け入れられないのであれば,少なくとも全ての項目について過去への反省を踏まえた改善案や具体案を含めるべきです。
 (そうしたとき,この議論はもはや日本の公教育自体をどう組み立て直すかというものに変わってしまうことは明白ですが…)

 もっとも現実的には,「教育の情報化ビジョン」は,総務省,経産省との連携を前提とした現況において策定されるので,その作業は今まで以上に難しいことも理解できるところです。
 そのため文書として出てくるものに過大な期待を抱くことが所詮は無茶な話であることも了解すべきかも知れません。
 だとすれば,その策定にかかわる人々の議論が問題になるのですが,果たして,それが私たち国民に伝わり納得できる形で出てくることが無い以上,このビジョンはどこまでいっても国民にとって雲の上のものでしかないかも知れません。

フューチャースクール推進事業に関わる

 総務省が「ICT維新ビジョン」を打ち出し,国家のIT戦略として取り組み始めています。そして「フューチャースクール」や「協働教育」というキーワードを使って,学校教育の情報化を推進する動きも含まれています。

 教育の情報化については,文部科学省も取り組み続けており,昨年には「スクールニューディール」と呼ばれる大規模な予算措置によって理科の実験器具や学校の耐震化と合わせて,電子黒板が導入されるなどの動きもありました。
 そして今年に入って,iPadが刺激した電子書籍への関心とデジタル教科書の可能性や限界に関する議論が盛り上がっています。
 とにかく,こうした様々な動きがごっちゃに受け止められながら,学校教育の情報化が話題になっていることだけは確かです。
 それらを解きほぐす作業は,今後じっくりと繰り返し取り組むとして,今回は私自身についてご報告させていただきます。

 
 この度,総務省の「フューチャースクール推進事業」の実証研究校に研究者として関わることになりました。10校ある中の1校と関わることになります。
 各校に「協議会」という組織がつくられて,メンバーとして「研究・有識者」枠があるのですが,そこに位置づきます。
 基本的にはアドバイザです。相談受けたり,現場先生方のお話を聞いたりする立場であり,見守り役でもあります。
 事業全体から見れば,地区の研究者の一人でしかなく,たくさんの関係者の中の一人でしかないということは,今後繰り返し確認し自覚していく必要はあると思います。
 それでも,注目を集める取組みに関わらせていただけることは有り難いことであり,気を引き締めなくてはならない立場であると考えています。

 
 文部科学省でもなく,民間のデジタル教科書教材協議会でもなく,総務省の事業に関わることになるとは,夢にも思っていなかったというのが実際のところで,こうしたご縁に至ったことに,当人も驚いている次第です。
 皆さんの中には「どうして無名なあなたが関われるのか」とお思いの方もいらっしゃると思います(それは素朴で自然な疑問です)。
 地区研究者の選出(?)は,10校ある実証研究校ごとに異なると思われます。全貌を知るのは総務省付の研究会メンバーと東西それぞれで事業を統括する担当者の方ですので,私の想像の範疇ですが,それぞれの実証研究校が決まる過程と連動して,地区研究者の選出過程も様々といったところのようです。
 そうした個別の選出過程を経て作成された複数の事業提案書が,公開入札に対して提出され,落札したものの中に私の名前があったわけです。ある種のクジ引きに当たったのだと考えていただき「そういうこともあるのかな」と納得していただければと思います。
 なんでそもそも名前が書類に載るのかの部分が全く曖昧ですが,その部分は「神様のいたずら」としか言い様がありません。
 ただ,誤解の無いよう書き添えますが,私は選択肢の中の一人として存在したことは確かですし,どんな形でも学校現場に協力することは日頃から表明していたので,そのご縁の結果だったと理解することはできると思います。

 
 繰り返すように,私は総務省のフューチャースクール推進事業に関わることとなりました。あくまでも一関係者でしかないため私の視野から見えるものは限られていますが,事業に関わる者として情報発信をしていくことが大事と考えています。
 というわけで,私からは当面,以下の情報発信を行なうことになります。

 ブログでは私の考えや進捗のご報告などを,Twitterでは硬軟合わせたツイートと関心のある皆様と対話を,学会ワークショップでは事業も含めた昨今の動向にまつわる言説と学会との関わりに関して皆さんと語らう機会を,試みれたらよいと思っています。
 少しでも,前向きな取組みに貢献できるよう,できる事は限られていますが,努力していきたいと思っています。

阿波踊りと引きこもり

 りんラボがある徳島は,12日から阿波踊りで街全体が祭り期間です。とはいえ,盛り上がりは夕方から始まりますし,日中は普通に出勤している人も多いので,会場に近づかなければ,平穏な日常でもあります。
 昨夜は,徳島駅周辺に出かけて,阿波踊りの人の賑わいを感じてきました。残念ながら見る阿呆に留まっていましたが,徳島に住んでいる以上,いつかは思いきり踊ってみたいものです。とにかく,ちょうど街中を流れる新町川の川沿いに軒を連ねる屋台を眺めながらぐるっと歩いて堪能してきました。

 りんラボは,教育と情報を扱っている研究室です。以前の私は「教育」にかなり重心があったので「りんゼミ」という風に名乗っていた時代がありましたが,最近は「情報」や技術系の話題を扱うことがグッと増えたので,「りんラボ」と称しています。
 いまはiPhone/iPadアプリの開発のために,いろいろなデータやプログラムの解析を行なっていたりします。Twitterのログを分析するツールにも興味があって,ログをパースするアルゴリズムのための解析もしたいですが,いまは別のWebアプリケーションの動作を解析する作業にかかりきりになっています。
 それから,教室向けiPadアプリのデザインに困っています。UIデザインも本当なら根本から再設計すべきですが,それは次の機会にするとしても,最も大事な「見た目」のデザインが手付かずなのです。最終兵器のPhotoshopを取り出して,ぐりぐりデザインするしかないみたいですが…,ああ猫の手も借りたい。

 9月18日18:00から,愛知県の金城学院大学で行なわれている日本教育工学会大会でワークショップ「タッチデバイスの教育利用」を開きます。
 このワークショップで目指したいことは,別にある教育関連ブログでも書いたのですが,「ミスディレクション」を減らす手だてを模索することです。
 新しい技術やデバイスを研究対象にしたり,積極的に推進していく過程で起こり得る様々な議論。その際に私たちは多くの「ミスディレクション」に出会います。それは意図的・無意図的に関わらず,私たちをある見方に追いやってしまったり,何かを見落とさせたりする可能性を孕むものです。
 私は,タッチデバイスという今まさに注目を集めている対象を一つの具体事例として,学術研究や世間一般の議論がどう噛み合っていくべきなのか,あるいは私たち個々人はどう振る舞っていくべきなのかを考えたいと思います。
 …というワークショップの高らかな目的に見合う準備もまだまだこれから。まあ,出たとこ勝負が大好きなので,多くの皆様に意見出ししてもらう会になればいいなと単純に考えています。可能であればUstream中継を入れます。

 つい最近,一つ失望したあとに,私はぼちぼち「りんラボ」から「りんゼミ」に戻そうかと考えていました。
 技術もロジックも扱い始めると面白いのですが,それに呑み込まれた人間の在り様に疑問がないわけではなかった。いつしか私も醜さを露にしているのではないか,そう思えたとき,もう一度,思索の世界に戻ることがよいのではないかと感じたのです。
 けれども,人生とは不思議なもので,そう簡単には引きこもらせてくれないようです。縁がないと思っていた事柄に,いつの間にやら巻き込まれていたりします。
 私自身も状況を把握してからご報告したいと思いますが,どうやら「いろいろ文句を言うつもりなら,お前自身がやってみろ」と神様からお鉢が回ってきたようです。
 なるほど,そう来ますか。面白いじゃないの。受けて立ちましょう。
 私はすでに,人生の中で阿波踊りを踊っているようです。