20190117_Thu 金曜授業の木曜

センター試験準備のため金曜授業。

文献講読も終わった専門ゼミナールは,各自の卒業研究テーマ決めに本格的に取り組むことになった。個別にどの方向へと関心を絞り込んでいくのか対話しながら研究室の文献紹介などする。

今年度の4年生は「知育玩具」と「数学学習アプリ」というテーマで卒業研究を取り組んでいる。

知育玩具に関しては,その歴史を文献を読みながらまとめ,現代の知育玩具にも目を配り,整理した情報をホームページを使って発信するという取り組みをしている。知育玩具に関する文献を探して読むということもさることながら,Webサイトをつくるための無料サイト構築サービスへの挑戦など,初めての事柄をどのようにまとめていけばよいのか迷いながら作業を進めている。

数学学習アプリに関しては,2人の学生がペアを組んでいる。自分たちで数学の学習アプリを作れたら…という動機から始まっているが,アプリ開発そのものが2人とも初めて。前年度から模索は始めていたものの,海のものとも山のものとも分からぬ世界をかき分けて,プログラミングに関する情報収集やHTML5ベースのアプリに決めてからのそのノウハウの学習には長い時間がかかってしまった(アルバイトや実習などの事情があったにせよ)。アプリ自体はベース部分の開発で一区切りし,そこまでの悪戦苦闘を文字に落とし込んでいるところだ。

一方,これからテーマを決める3年生。

「交通安全教育」「ネット利用」「映画」「ダンス教育」といったキーワードを考えているようだ。

本研究室が「教育と情報の過去・現在・未来」といった看板を掲げていることからすると,だいぶ距離のありそうなテーマも含まれているように思える。

けれど,「教育」も「情報」もわりと間口の広い言葉や分野であるから,実際のところ,どんなテーマを持ってきても切り口として教育と情報を使えそうなら,なんとかなる研究室でもある。

春休みに意識的に過ごせるようにするためにも,来週の金曜日に卒業研究テーマを仮決めして発表することを課題にした。仮決めだからまだ変更はあり得るが,そのためにも仮決めはしたい。

来年の卒業研究指導のために何かよいツールはないかと日頃から気にしていたが,ふと見た「LINE WORKS」に無料プランが出来ていることを知った。

学生たちとのやりとりはほとんどがLINEになってきてしまっているので,よく似たアプリでグループウェアを使えれば便利かも知れない。導入してみることにしよう。

20190116_Wed 謎の工事の末に

研究日の水曜。

研究室の横には階段があり,そこを隔ててちょっとしたフロアスペースがある。自習用長デスクや掲示板,ソファもあるので学習スペース兼休憩スペースにもなっている。

昨年末あたりに壁に沿って据え付けられていた自習用長デスクの一つが撤去された。

なにがどうなるかも知らされず,新年に入っても撤去された部分はそのままで,休憩スペースが広く改善されるのだろうかと半分期待しながら進展を気にしていた。

ところが,この日,それは突然始まった。

朝からガガガガ,ゴゴゴゴと大工道具を鳴り響かせて,何かを作っている。

それは一日中続いた。

すぐ近くの関係者に「ちょっとうるさくなります,スミマセン」の一言ぐらいあってもよさそうだが,職場からも,工事現場で作業にあたる作業員からも,何も挨拶なく,それは続いた。

経験上,騒音系は自衛するしかない。

私はノイズキャンセリングイヤホンで音楽を聴きながら仕事をした。卒業論文の作業をしにやって来た4年生たちは,さすがに落ち着かなかったようで,早々退散して帰宅してしまった。

「今日は騒々しくてごめんね。」

なんで私が代わりに謝っているのか。と思わないではないが,それで潤滑するなら問題ない。

途中覗きに行ったら,ブースのようなものを作っていた。

「まさか喫煙ブースを作るわけないだろうから…おお,個人学習ブースかな!」

と騒音のイライラを朗報到着への期待にすり替えて,その日は一日過ごした。

学生たちも,工事の作業員も,全員帰って,他に誰もいなくなった職場で,仕事の一区切りがついたので,工事していたスペースの様子を覗いてみた。さぞ立派な学習ブースが出来ただろうと想像しながら。

出来ていたのは,無味乾燥な白い壁で作られた「ものおき」だった。

広々としていた休憩スペースの空間を削り取って,誰が使うかも分からない倉庫ができ上がっていた。

がっくりである。

20190115_Tue Scratchで舞台作品

授業と会議。

授業はScratchを使った作品づくり2回目。

Scratch3.0で舞台作品をつくるような説明をしているので,それぞれのスプライトのスクリプト(コード)のことを「役者さんの台本」といった言いまわしで表現している。

芝居中は,合図の送り合いというイメージも早くに意識してもらっている。

役者同士はもちろん,ボタンやキーを押す舞台監督,そして舞台背景を担当する舞台スタッフは,芝居のきっかけ合図を送り合っている。つまり,メッセージの送り合いが舞台の進行を支えているわけだ。

ボーッとしていると理解が難しいと投げ出す学生もいるが,サンプルを見てもらいながら分かってもらうと,スプライト同士の連携を難なくデザインしてしまう。むしろ舞台を思い通りのルートで役者を動かす方法で悩むことが多いかも知れない(それも発想さえ掴めば早いけれど)。

プロセスやイベントループのことも「役者さんの気や集中」みたいなたとえで押し通し,まぁ,なんとか。

授業となると十分な時間を確保できないが,将来保護者になったときに子どもたちが触れるScratchって何?!と動揺せずに,なかなか楽しいものだと思い出してもらえる程度になってもらえればよいと考えている。

会議は年度末と来年度に向けてのあれこれ。

20190114_Mon Raspberryな成人の日

成人の日でお休み。

連休なので,わりとのんびり過ごしつつ,書店巡りなど。結局,眺める本は専門書や技術書ばかりなので,卒業研究指導のことや教育研究のことなどを考える。

Raspberry Piをベースにタブレット端末っぽくパッケージングしたRasPadを使って,FeliCaリーダーと組み合わせた出欠記録アプリを組みたいと考えている。Pyrhon言語を使うのはいいとして,Python言語でウインドウ表示するアプリ開発をするのにいい参考書はないかなと物色したりした。

午後は,RasPadのOSであるRaspbianをアップデートするための作業。

ほう,最近はSDカードにディスクイメージを転送するためのユーティリティ「Etcher」というものがあるのか。かなり手軽に準備できるようになっていた。

Raspbianも昨年の終わり頃にアップデートがされて,導入時の日本語環境設定が楽になっているという。一度済ませれば日頃は縁のない導入部分だから,たまにシステム不調になって再インストールするとなると,運用は慣れているものの,あらためて導入では面食らってしまうことは少なくない。

Scratchが3.0と新しくなったものの,Raspberry Pi上でオフラインで動かすバージョンはこれから。まだまだいろんなことが目まぐるしく変わりそうである。

そんなシステム周りのアップデートで一日が終わってしまった。アプリ開発はまだお預け。

20190112_Sat 真夜中の番組「山の分校の記録」

ETV開局60年の特番があった。

メディア研究の分野でも有名なテレビ映画「山の分校の記録」(1959年)が久方ぶりにテレビ放送されるというから気にしないわけにはいかない。なにしろメディアとの出会いに関する研究談義の際には,必ずや言及される番組。大学の授業で教材として利用している先生もいると聞く。

NHK教育放送が始まったばかりの頃,テレビ受像機が栃木県土呂部(日光市)の分校に1年間貸し出された様子を短く紹介したモノクロ番組である。

番組前半は,山の分校なので,子どもたちの日常的生活圏が狭く,接するものが限られている環境で,その中で学習することの難しさのようなものが描き出される。

たとえばコントラバスという楽器一つを説明するにも,実物がないのは当然として,写真が掲載されている適当な教材もない。バイオリンを大きくしたものと説明したくとも,そのバイオリンの実物がないため,これまたバイオリンとは大きさが似ても似つかぬ模型があったので,それを取り出してバイオリンを説明し,それが大きくなったものだと説明する先生の姿は気の毒に映る。それでも手渡されたミニチュア模型バイオリンを好奇の目で見つめる子どもたちの様子がまばゆく伝わってくる。そうやって想像力を働かせても,残念ながらコントラバスの音色は聞こえては来ないという現実。

こうした学習における困難な条件を,分校担当の老先生はずっと悩ましく思っていて,どうしたら社会を学んでもらえるだろうかと考え続けている。

ある年,老先生は6年生を連れて町の小学校へ3日間の留学を実施した。

留学先の小学校で町の子たちと一緒に学ぶ中で,この学校がテレビや放送施設などの視聴覚機器を活用しているのを一緒に体験する。

このときをきっかけとして,子どもたちがテレビを望み始め,さまざまな働きかけの末に,テレビ受像機の貸し出しが決まった。テレビと子どもたちの日々を追いかけるのが番組後半の内容である。

すべてを書くのは野暮なので,テレビを利用した学びの様子については,実際の番組をご覧頂きたい。

元の番組は「山の分校の記録 | NHK for School」として動画公開されている。

実は,元のオリジナル映像全編がネットで公開されたのはこれが初めてである。

今回,真夜中の放送の特徴は,元映像はNHKの学校放送サイトで動画コンテンツとして公開され,地上波では元の映像を視聴しながらチャット画面でコメントする様子を混ぜ込んだものだった。

真夜中の放送自体は,単に古い映像を流すだけで終わりにせず,他の人の反応を見ることで過去の映像の違った価値を発見する試みとして良かったと思われる。

映像を見ながらの呟きであるから,見たままのことを呟いたり,単に驚いたり嘆いたり,見ているところが瑣末だったりすると感じられるものもあっただろう。それに慣れない一般視聴者からするとそんなコメント吹き出しが流れている画面は,目障りだという感想も一部あったのは仕方ないことかも知れない。

ただ,こういう取り組みはまだまだ改善の余地があって,私たちは番組視聴中のコメント吹き出しを「振り返りアンカー」として打ち込んで,視聴後の感想交換パートでの議論を深めていくためにそのアンカーを辿り直すように活用も出来るはずである。

今回は教育工学研究者として堀田博史先生も登場していたわけで,そのように意見交換パートをもっと充実させるための役者は揃っていただけに,一部の感想を許してしまったのは残念である。

この番組は,あまりによく出来ているし,技術や社会状況はまるきり変わっているけれども,今日の学校に重ね合わせてしまえる部分も少なくない点で,文句無く伝説のテレビ映画だ。

けれども,あまりによくできているが故に,番組構成やスクリプトを手がけた当時のテレビマンのスキルの高さにあらためて感嘆してしまうという側面もある。

それはこの番組の名場面として語られる「テレビが無くなったとしたら」のくだりで,女の子のモノローグと番組ナレーションとの繋ぎで感ぜられる違和感を,見事に吹っ飛ばしてしまう映像と名台詞にも象徴される。

しかし,それが「テレビ」なのだろう。必ずしもフラットなものではない。

世界へのまなざしを開かせるメディアとしてのテレビと子どもたちとの出会いを描いた貴重なドキュメンタリー映像は,それそのものがテレビを体現しているからこそインパクトを持って語り継がれているのだ。