日本教育工学会3日目

日本教育工学会3日目(最終日)でした。

一般研究発表(口頭発表)とSIGセッションが予定されていたので,関心の持てるところにお邪魔して,プログラミング教育に関わる発表もあったので聞いていたりしました。

それで,またかと思われるかも知れませんが「プログラミング的思考」なる言葉にまつわって考えたことがあるので書いておきます。

まずは毎度の説明を。

ご承知の通り,2020年に本格実施となる小学校学習指導要領からプログラミング体験が求められるようになりました。端的にはIT人材育成を見据えた政府の方針に刺激されて実現した教育項目です。

しかし,教科ではないので,同時期に生まれた「外国語」のように独立した授業時間を設けられたわけではありません。小学校学習指導要領の目次にはプログラミングとも情報とも書かれた章題はないのです。

そのため必然的に,既存の教科の中に溶け込ませてプログラミングを体験させるという取り組みになります。溶け込ませる教科における指導例として算数や理科,総合的な学習の時間が示されていますが,それら教科に限定されているわけではありません。

捉え難いプログラミング体験を,理解してもらえるよう教員向けに解説し,学習活動の分類を提示しているのが『小学校プログラミング教育の手引(第一版)』です。

既存教科の中に溶け込ませながら展開するプログラミング体験の意義が,溶けて消されないように掲げられたのが「プログラミング的思考」なる言葉といえます。

手引において,プログラミング教育のねらいを「『プログラミング的思考』を育む」と表記していることもあって,この表記を引用する言説が流布しています。

「プログラミング的思考」なる言葉が,官製用語として,施策浸透を促進する目的に用いられる分には,目くじらを立てることはないかも知れません。

しかし,それを学術の文脈上で吟味するため俎上に載せる場合は,行政・公的文書類の言うままに受容するわけにはいきません。少なくとも,どのような背景で生み出され用いられ始めたのかを確かめなければならない。

少なくとも私が調べた範囲で,プログラミング的思考なる言葉が「いわゆる「コンピュテーショナル・シンキング」の考え方を踏まえつつ、プログラミングと論理的思考との関係を整理しながら提言された定義」と注釈された説明を事実とするものであると納得できる資料は開示されてはいません。

「プログラミング的思考」なる言葉は正体不明のまま,プログラミング教育導入の状況にあてはめられながら外形的に定義が与えられている可能性があるのです。

学術の文脈で用いるのであれば,こうした可能性があることを踏まえて,かなり丁寧な操作のもとで定義なりする必要があります。

けれども,今回の学会発表で「プログラミング的思考」なる言葉を用いている発表のほとんどが,行政・公的文書類の記述をそのまま引用し,その定義や説明を所与のものとして扱っていました。

もちろん行政・公的文書類の内容を前提に研究を展開することは可能であるし,そうすることが間違いであるとはいえません。どの前提を採用するかは個々の研究者の判断であるし,それが方法的に深刻な問題を引き起こさないならば,一つの研究や主張として成り立ちます。

ただ,方法的に不十分な点があれば,それは問題を引き起こしますし,問題を抱えたまま屋上屋を重ねてしまうと,あとで取り返しがつかなくなってしまい,結果や考察が歪められてしまう原因にもなります。

繰り返しますが,プログラミング体験等の取り組みを推進したり,普及させようとするような文脈で「プログラミング的思考」なる言葉を用いる分には,その言葉が厳密にどんな言葉であるかは,大した問題ではありません。個々人が腑に落ちる形で理解していく余地を残すことも大事かも知れないからです。

しかし,学術研究の文脈で用いるのであれば,細心の注意を払って扱う覚悟が必要です。異なる文脈が交差していることを理由に扱い分けを怠ってしまうと,ご本人たちにとっては問題がなくとも,学術的知見の共有という段になったときに,他の参照者が困るかもしれないのです。

最近,上野千鶴子さんが『情報生産者になる』(ちくま新書)という分厚い新書を出しました。前半部分で学問を「知の共有材」と表現されているところがあります。どのような仮説を立てようとも,それが検証可能であることが求められ,他者が納得できるように提示されて初めて共有できるのです。操作的定義だからって,どんな操作をして定義したのか明示しないと,それは自分の都合のいいように操作しただけじゃないのかと勘ぐられても文句は言えません。

もうちょっとそういうことに配慮して欲しいなと思いながら研究発表を聞いていた,日本教育工学会最終日でした。

もっとも私自身もreview essay程度の研究作業しかできてないことを反省しつつ,それでもそれらを積み上げて形にする方向で精進しなければならないなと感じている日々です。